企画展「天地人の時代―ふくしまと直江兼続―」
2009年 02月 10日
手前に歴史資料館展示室が見えてくる。普通に来れば、歴史資料館展示室は県文化センター裏にある。それが、散策しながら来ると、感覚的に展示室の向こうに県文化センターが見えてきて、主と従が逆転した感覚になる。
ここで企画展第2部「天地人の時代―ふくしまと直江兼続―」が開催中だ。
展覧会は、上杉景勝書状、直江兼続書状などの実物があり重みはあるが、資料展示が中心なので、地味な感じではある。他の展示品もあるが、上杉領時代の伊達郡・信夫郡関係史料などが中心の展示だ。
散策したこととかかわりのあるものについて目が行く。
その一つが、直江兼続知行充行状だ。一覧に、慶長6年(1601)5月9日付小沼貞雄家文書とある。
これは、本宮宿南町の創設とかかわる文書で、本宮市の太郎丸観音堂を散策した時に、「太郎丸観音堂」を散策した時に、小沼貞長の碑についてふれて、「本宮南町の建設~ちょっとだけ天地人にかかわる 」として整理し、本宮南町の建設について整理した。
また、太郎丸観音堂の散策の整理の時にも小沼貞長氏に少しふれていた。
この時には、この文書は、「小沼家にあるらしい」としたが、今回の展示品一覧に小沼貞雄家文書とあり、所有者も本宮市 小沼貞雄氏とあるので、確実に小沼家にあると断言できるようだ。
展示品の解説には、先に整理した本宮宿南町の創設とのかかわりにふれていた。そして、給人石栗将監については、二本松城に500石との情報。また、間接的に石栗将監を通して免状を与える形式についても、当時はあり得る形式として解説されていた。
整理した時には、慶長5年(1600)付としたが、展示解説では慶長6年(1601)5月9日付とある。上杉氏は慶長6年(1601)には、山形30万石に移動させられていて、信夫の里は上杉領として残るが、本宮宿は会津領となっているはずで、この月単位が微妙に緊迫感がある。