西根堰~湯野の樋越しから桑折まで
2009年 01月 11日
車で来たついでに、飯坂から桑折までの西根堰の水路を確かめることにした。
実は、この西根上堰の確認というのは、芭蕉の道の確認ということでもある。ひょっとして、芭蕉が松原寺に立ち寄らなかった理由が見つかるかもしれないとの思いもあった。
まずは、湯野の樋越しの確認をする。今も昔もここは樋越しだが、昔は木製だったはず。
このまたいでいる米川は、西原廃寺の東側を下ってくる自然の河川だ。ここで、上堰もまたぐが、下堰も跨またぐ。
この下堰は、今は、樋越しらしいが、昔は柵(しがらみ)だったと聞く。
このイメージをつかむのに、粗朶(そだ)組合の柵工法をイメージできそうな絵を借用する。
柵(しがらみ)というのは、伝統的な河川工法の一つで、杭木に竹または粗朶(そだ)を掻付けるという。粗朶(そだ)というのは落葉広葉樹の幹や枝を束ねたもので、ナラ、サクラ、カエデ、マンサク、リョウブ等、粘性のある樹木を約10年位の周期で伐採し、生産していたという。
この工法を使ったのは、草堰という故意に漏水を下流に流すような堰の応用と推定する。
川を横切るには、この他にサイフォンという工法もある。
さて、西根堰沿いの道を進んでみるが、水路に目立った工法の特色もなく、ゆったりと流れていく。
しばらく進んでいくと、新しい道路と交わり、水路の道筋が切れる所に出る。
水路を横目で確かめながら道筋を確かめていたら、そこに松原寺が現れた。
芭蕉は馬に乗ってこの寺のまん前を通っているのだ。ここに立ち寄らなかった理由を見つけることができなかったということでもある。
※ ここに立ち寄ることにこだわる訳は、「葛の松原」として、先に整理した。
※ 1月12日追記
水路に目立った工法の特色もなく、ゆったりと流れていく葛の松原近くの写真を張り付けておく。