信夫の里の天地人⑤~西根堰②
2009年 01月 03日
飯電で、飯坂方面へ足慣らしの散策に出かけた。
電車を降りると直ぐに見えるのが、西根下堰取水口。この堰は、西根堰上堰開削前に、1618年、佐藤新右衛門が、湯野の摺上川から、桑折、伊達崎までの約13kmの開削をしたものだ。
先の整理で、新田開発による耕地の増大による藩財政立て直しのため、西根堰の開削による水源確保の目論見があったはずとした。
ただ、上杉藩の事情を反映するのは古河善兵衛重吉で、佐藤新右衛門はもっと純粋に地域の発展を夢見たと思える経歴だ。
これも「T-com」に載っていた佐藤新右衛門。どの資料にも載っている岸波利郎氏蔵の絵図だ。
佐藤新右衛門は、元々伊達郡桑折の地侍で、郡役として農民を支配してはいるが、西根郷の大肝煎だ。米沢藩は信夫郡と伊達郡の2郡を、信夫郷、西根郷、東根郷、小手郷の4つに分け、それぞれに村々の役人の見張りをする大肝煎を置いて、四郡役と呼んだ。
大肝煎には、藩士ではなく、地元の実力者を採用したという。佐藤新右衛門は信夫佐藤氏、佐藤基治の18代の子孫ともいう。
今年は出かけたところの神社に立ち寄って初詣をするということで、まずは飯坂八幡宮に立ち寄った。