明治天皇東北巡幸
2008年 12月 19日
仙台を散策し、明治天皇東北巡幸と雄藩である伊達氏、護国神社と仙台城を対比して感じさせられるものがあった。
明治天皇東北巡幸は、戊辰戦争後8年しかたっていない中、旧幕府方の藩が多かった東北地方にとっては、微妙な問題もはらんでいたはずだ。
幸い、この展覧会の概要が、福島県資料情報『立県130年記念「福島県の誕生~明治巡幸と三県合併~」』として残されていた。これを資料に、明治天皇東北巡幸のことを整理しておくことにする。
明治天皇の奥羽(東北)巡幸が行われたのは、明治9年6月2日から7月21日だ。
近代産業施設として、須賀川産馬会社・開成社・二本松製糸会社・半田銀山などを視察し、その他、教育施設、福島県庁なども視察している。また、白河城址・二本松城址など、戊辰戦争において戦場となった所も訪問している。
そして、巡幸終了後の8月21日には、明治政府は筑摩県以下14県を廃合し、3府35県に再編成するのだが、福島県も、その一環として磐前県・旧福島県・若松県の3県が合併して、ほぼ現在につながる福島県が成立したという。
その半田銀山視察の中で、霊山の散策とかかわる出来事として、明治天皇の敬令がある。
その半田銀山とこの巡行のかかわりの記念碑は、半田銀山史跡公園のなかにある。
明治9年6月21日 明治天皇は奥羽御巡幸にあたり右大臣岩倉具視、参議大久保利通、内閣顧問木戸孝充外を随伴し半田銀山に御臨幸され鉱山施設をつぶさにご覧になられた。時移り昭和6年8月当時の半田村は、その聖蹟を記念し北半田字銀山の弘成館前(現井出二郎氏宅)に行幸記念碑を建立した。今般、半田銀山史跡保存整備事業に際しこの地に移転し、天覧の栄に浴した往時の半田銀山の隆盛を思い起こし滋に地元住民と共に永く保存顕彰するものである。
平成元年3月
桑折町・桑折町教育委員会