向羽黒山城④と南山通り
2008年 07月 30日
若松から本郷までの「南山通り」を確かめれば、政宗の黒川城から向羽黒山城への道がイメージできるようだが、ここは小さい頃の原風景として浮かぶ。意識しないで歩いていた道ではあるが、この街道の大町→七日町→桂林寺通り→赤井丁→新横丁→河原町→材木町のあたりは、遊び場であった。
ただ、飯寺から大川を渡り、対岸の上米塚へ続く所の渡り場は、意識していなかった。只見線の50m下流とのことだ。このあたりは確かめてみたいものだとは思う。
この向羽黒山城の先には、政宗が城の整備を急ぐ背景がある。いつかは、この街道沿いに会津の奥を覗いてみたいと思う。この街道、「会津の街道」(歴春ブックレット)によれば、奥州仕置をした秀吉が京都への帰途に通過した道ともいう。関東へつながる道でもある。
近年、若松で日光街道といえば、宇都宮街道をイメージするが、今回古道は「南山通り」であることを認識した。