地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

八丁目宿の二つの追分~「米沢街道」と「相馬道」

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奥州街道は、二本柳宿から進んでくると、T字路に突き当たる。奥州街道はここを左折して進む。昔は自然な曲線であったろうから、道なりに進めたのだろうと思う。
ここを、左折すると、現在県道52号土湯温泉線である米沢街道に入る。ここが米沢街道の基点だ。この道は、八丁目城の入口前を通り、八丁目城の山裾を回り込むように進む。


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雇用促進住宅が過ぎたところに、「米沢街道追分」の案内表示がある。この支柱、今年に入って福島市内のあちこちに建った。行き当たりばったりに散策する者にとってはありがたい。この地点も、土湯温泉線から米沢街道に入るのに分かり難い地点だ。
 ただ、その道標がみつからない。もう一つしっくりしないのは、「追分」としては、先のこの街道の基点であるT字路の所ではないのかなとも思う。この支柱を立てた方も、多分どこに立てるかというときに、そこを迷ったのではないかと推測する。

 この街道は、本拠を米沢に本拠を移した伊達氏によって整備され、福島城下と米沢城下を結んだという。江戸期には、他の諸大名は先に散策した小坂峠を越える羽州街道を利用していたが、米沢に移された上杉氏の参勤交代にはここが利用されていたという。
 このルートが衰退したのは、明治になって万世大路や奥羽線が開通したからだ。


 米沢街道の起点になったところを、奥州街道は左折する。「八丁目宿本陣の桜内家」だったガソリンスタンドをまた左折する。
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そして、次の「常円寺」前の所を右折して奥州街道は進み、石合町に入る。


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 更に、奥州街道は、ここを400m程進んだところの交差点を左折して進む。この地点が、奥州街道と相馬道との追分になる。直進するのは相馬道である。
 ここの角には、石灯篭形の道標が建っている。6角面に地蔵の浮き彫り施した六角石である。ここにも、最近白い支柱が立った。

 この宿は、本街道である奥州街道と、米沢街道・相馬街道が交差する要としての宿駅であり、八丁目城の城下町から発展して賑わいをみせていたということだ。
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Commented by at 2008-06-08 18:31 x
今まで松川は何処かへ行くときの単なる通過点に過ぎませんでしたが、八丁目場の話、興味深く読みました。機会があったら友人と大森場・西山場を含めて歩いて見たいと思います。
Commented by at 2008-06-08 18:33 x
すみませんm(==)mワープロミスです。場→城
Commented by shingen1948 at 2008-06-09 05:09
八丁目城は、交通の要所にあるにも関わらず、公園化を免れ、原形が保たれていていました。スケールも大きすぎず、しかも、案内図付きで、説明も簡潔。自分の感覚を養うのによかったです。
分からないと強引に攻めるのですが、それも許容する懐の深い城でした。
Commented by ピナ男 at 2011-01-06 22:32 x
初コメント失礼します。
この六地蔵道標の近くに住んでいます。
最近まで重要な街道のことなど知りませんでした。
数年前に八丁目城の本丸を見てきました。
当時のまま残ってると感じました。
半沢先生のフィールドワーク本を手に入れて以来、
あちこち出かけて楽しんでおります。
これからも拝見させていただきます。
Commented by shingen1948 at 2011-01-08 05:20
コメントありがとうございます。
気軽に身近な地域を散策できる資料として、半沢先生のフィールドワーク本はいいですよね。古文書とにらめっこの本格的な歴史書でなく、散歩資料になっているのがいいですよね。私も参考にさせていただいています。
10年ほど前まで、先生は有志の方と一般向け研修会を開かれていました。
私が病みつきになったのは、仕事の合間にこの会に何度か参加させていただいたのが、きっかけでした。
散歩して、互いに情報交換できたら楽しいでしょうね。
よろしくお願いします。
by shingen1948 | 2008-06-08 07:30 | ◎ 奥州街道 | Comments(5)