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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「幼児教育について」思いつくままに①

 幼児教育について考える機会を与えられたことがあったのだが、整理しないままになっていた。
 ちょっと感じたことを思いつくままに整理しておくことにする。

 幼児教育については、大人からは歯の浮くような言葉をたくさん聞いた。その中で、子育て支援については多少疑問を感じることが多かった。子どもが追いやられた中で子育てが支援されているという感じを受けた。
 子どもは何も言わないし、その代弁者もいない状況がある。子どもが言えないのは、その力がないからだが、その代弁者がいない状況というは、施策実施者と本来代弁すべきものが近すぎる関係にあるということだ。本来代弁すべきものとは、具体的には実際に保育に携わる者だ。
 この問題は、子供の立場に立つと施策にブレーキをかけるととられかねない要因が含まれている。近すぎる関係というのは、保育に携わるものの保身とかかわってきてしまうと思っている。

 支援の必要な子育てについての問題点の認識は、次のようなことが、その一つかと思う。
 子育て中の親の多くは、昔に比べると職場に拘束されていて、帰宅時間も遅い。子どもと対話し、子どもの悩みに耳を傾け、子どもの心を理解する時間がない。

 この問題点の方策としてとられているのは、例えば保育園の充実とか、延長保育・「放課後の子ども教室」の充実とか、子育て中の養育のための補助金の制度等とかというふうに、子育て中の親にとってはありがたい施策を並べる。

 しかし、この施策は、育てられている子ども側からみるとありがたくない。施策が言う保育の充実は、子ども側からすると親と接触する時間を益々奪う施策でしかないということだ。
 朝早くから夜遅くまで面倒を見てくれる施設は、朝早くから夜遅くまで親と面会させない施設だということになる。子どもと対話し、子どもの悩みに耳を傾け、子どもの心を理解する時間がないということの解決策にはなっていないと子どもなら言うだろうということだ。

 個を尊重する社会形成と子育て中の親の問題が混同されて認識されたままその解決が急がれているという感じだ。問題は、それがかえって子育てそれ自体に弊害を生んでいないかということだ。
 きつい言い方だが、子育ては第一義的に親の責任であり、家庭が原点である。その自覚が前提だ。

 実は、この前提さえあれば、前記施策も有効に働き出す。「できるだけ子どもと接触する時間を確保したいのだが」という前提があって、それでもできないことへの支援になるからだ。それなら子どもの代弁者も納得できる。
 しかし、この前提作りには誰も手を出さない。それは、評価してくれるだろうはずの子どもには、実際には評価力も発言力もないからた。

 人は、誰もが楽な方に流れる。この自覚なしにこの施策に接すれば、子育てしなくてもいい親のエゴの支援という側面を増長するという結果を生む。そして、それがその地域の社会規範になるという心配はないのだろうかと思ったという単純でたわいもない話だ。
by shingen1948 | 2008-04-09 04:44 | ☆ 教育話題 | Comments(0)