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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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お地蔵様③~土湯の六地蔵様

 大玉村の地蔵塚や、原瀬の地蔵塚等を確認していると、六地蔵ということが気になってくる。そして、気にもとめていなかった事を思い出す。
お地蔵様③~土湯の六地蔵様_a0087378_811229.jpg
 土湯を散策している時にお地蔵様に出会っているが、書きとめてはいなかった。このときは、日本人の持つ本来の感覚が習合の意識であり、その感覚を否定したのが明治政府の神仏分離の政策だと強く思っていたので、説明板の以下の部分は気になっていた。
 明治維新の時代、政府の神仏分離の政策と過激な廃仏棄釈の難にあって、取り壊され土中に埋められていた……

 この政策によって、心の故郷である民間の信仰の感覚に戻れなくなったと強く思っている。取り壊されて土中に埋められたのは、地蔵本体だけではない。室町時代から日本民衆に爆発的な人気で続いた地蔵信仰そのものだ。日本古来よりの道祖神と習合して発達した六地蔵信仰は、明治政府によって表舞台から葬り去られたと思っている。

六地蔵の脇には以下の案内板がある。
六地蔵とは、地獄・畜生・修羅・人間・天上の六道にあって冥界に彷徨う人々を導いてくださる地蔵菩薩のことで、この地は昔、土湯が湯治場として栄え会津街道の宿駅として賑わった頃、福島・松川・二本松からの往還には、必ずこの七曲がりの坂(昔は前坂といいました)を登り降りしなければならなかった。現世の六道にも相当する街道の分岐点でありました。昔、祀られていた六地蔵は、明和3年(1766)以前に建てられたものと推定されますが、明治維新の時代、政府の神仏分離の政策と過激な廃仏棄釈の難にあって、取り壊され土中に埋められていたものを、偶然の機会から発掘され往時の信仰の姿を再現致しましたが、その姿はあまりにも痛々しくみるのに忍びません。しかし、歴史の証言としてこれを長く安置保存するために今回の措置を講じました。
 新しく建てられた六地蔵は、昭和の地蔵菩薩として現世に悩む人々を導き、町内安全、厄災消除、開運招福、延命長寿、諸願成就の願いを込め、多くの方々の真摯な崇敬の念と浄財の寄進によって、建立されたものであります。
 昭和63年8月6日
 土湯温泉町有志
 土湯観光協会

by shingen1948 | 2008-03-29 08:09 | Comments(0)