七ツ壇古墳から消えた古墳③ 塚の消滅
2008年 02月 23日
高橋氏の地蔵堂古墳群の描写をもとに、七ツ壇古墳のあたりの原風景を想像してきた。近所で小さい頃に遊んでいた人に聞くと、よく金山壇で石を掘って、それを使って石蹴りに遊んだりしていたという。また、その壇から飛び降りて遊んだりしたともいう。
地蔵堂辺りは現在住宅立ち並んでいる。しかし、昔はここに7つの塚が並んでいたのだが、それが消滅したらしい。このあたりもうっそうとしていたと聞く。
高橋氏は、4号国道から、大山と本宮の境に走る道路沿いに描写していく。これは、岳道らしい。
4号国道と岳道路の交差点を、西に登ると登り切った左手の小高い丘に数基の石の供養塔立ち並び、南端に珍しい層塔内に入った石の地蔵様がある。(中略)
この付近に7塚あり、種々の伝説が伝わっていたが、‥‥‥。この地蔵の塚も7塚の一つと聞いている。この直ぐ西の民家の裏にも、一つの塚があり、一本の老松の根方に、山神の祠があったが、数年前その姿と塚はなくなって終わった。この山神の脇は、店家で、その前が十字路となっている。道から北側は大山、南は本宮地区で、‥‥‥。
これで、髙橋氏がいう「地蔵堂古墳群」一般的に言われる「7ツ壇古墳」について、手に入る資料をもとに確認したことになる。
そこで、今まで確認してきた事を東から西に向けてまとめていく。そのため、地図を準備する。 大玉村と本宮市の境界線沿いに走る道路は、旧岳道らしいことが分かる。