「住吉B遺跡」~企画展冊子に生産遺跡として紹介
2008年 02月 06日
「企画展発掘ふくしま2」の冊子に、住吉B遺跡の名前が載っていた。Ⅴ古墳時代「近年の福島県における古墳時代遺跡の調査」の「生産遺跡」という項立ての中で、県内の生産遺跡の一つとして紹介されていた。生産遺跡の数は少ないとのことだ。この時代は、生産された産品・製品は比較的狭い範囲で流通していたと考えられているそうだ。
住吉B遺跡は、郡山市正直A遺跡と共に、5世紀のマツリに使われた石製模造品の未製品が見つかった遺跡として紹介されている。石製模造品の未製品が見つかる遺跡は比較的多いとしている中でこの遺跡が取り上げられているのは、製作所としての呈を為しているからだろうと想像する。ただ、郡山市正直A遺跡は、石製模造品の製作過程も復元できるとのことだ。
ここで、少なくともムラのマツリは、身近で手に入る材料によって身近な場所で作られた道具を使って行われたことを証明する遺跡だとのことだ。
ここには、4世紀の管玉製作工房の紹介もある。1993年に調査された河沼郡会津坂下町宮ノ北遺跡で、4世紀の管玉製作工房跡2軒が見つかったとのことだ。この遺跡が、亀が森古墳の近くであることと西方の山中からとれる緑色凝灰岩を用いて製作されたことや、前期古墳の副葬品の中に地元製品が含まれていることを強調していた。
住吉B遺跡報告書を読んだときに、生産遺跡であることは読み取っていた。しかし、この事柄がどんな意義があるのかは分かっていなかった。少なくとも、企画展に説明されているということは、この企画者が専門的に県レベルでみても意味ある事と評価していると受け取れる。
大玉村の中では、今のところその意味が見えない。「ふるさとホール」に、ここから出土した石製模造品の未製品を展示していただき、工場と思われる建物の遺構の写真を展示していただければ、安達太良山麓埋蔵文化に興味のある人に、この意義を知らせることができるのではないかと思うが、余計なお世話かもしれない。