映画「A」
2008年 02月 04日
最近マニアックな映画を見ることが多い。
2008.1.28「朝日新聞」県版で、「オウム信者、何故事件を」と題して、映画「A」が福島フォーラムで上映されることが紹介されていた。この映画は、オウム真理教に密着取材したドキュメンタリー映画だ。2日から4日間の上映というので、初日の土曜日の上映にでかけた。
何とか実行委員とか、某労組とかの名札をつけた方々がアンケート用紙を抱えて立っている。図書販売もあって、普通の雰囲気ではない。主義主張をしたいための上映会のようだった。この日は、1時30分から4時まで上映した後、森達也監督のトークイベントと続く。
映画は、オウムの広報担当荒木浩氏に焦点をあてている。95年の地下鉄サリン事件を、オウムの内部から撮影していく。談笑する信者の姿や警察に不当逮捕される様子などが、ありのままに描かれる。
お粗末なNHKの女性記者の取材や、取材の優先権を巡り喧嘩する民放テレビ局スタッフを見かねて「あまりいがみ合わないで 下さいよ」と荒木氏が中に入る場面も、すべて カメラに収められている。自分勝手な屁理屈を並べるリポーターや、住民運動家たちの偽善的な態度も、オウム側から見ると空々しい映像だ。
トークイベントの中で、「何故内部から撮影できたか」という質問に答えて、普通に手紙でドキュメンタリーの了承をとったら簡単に許可してもらえたことを明かす。後で知ったが、そういう申し入れはどこもしていなかったことを付け加える。ドキュメンタリーを採るときは、誰もが手紙で許可を求めるのが普通なのだが、オウム真理教には普通の対応をする人はいなかったということのようだ。普通に申し入れて、普通に了解をされただけだとのことだ。
その中で、荒木氏は、95年の地下鉄サリン事件後、上層部が次々に逮捕されていって、何時の間にかマスコミの批判の矢面に立たされたという経緯も語る。
警察が何故不当逮捕の撮影を許されていたのかということについては、氏は、警察はカメラに対して恐れを抱いていなかったのではないかと応える。この時代の雰囲気では、マスメディアなら例え撮影されていたとしても、それが使われることはないという安心感があったと想像していた。オウムに過剰な接し方をしていることを撮られても、オウムに味方するような映像が流れれば、世論から反感を抱かれてしまうので流れないと踏んでいたのではないかと応える。
付け加えて、倒された演技をした方は、この事件後、2~3階級特進して、今は高い身分のところにいらっしゃるとのことだ。
トークショーで伝えたかったことは、善悪や真偽といった二項対立でなく曖昧さの中にこそ大切なことがあるということのようだ。オウム信者は悪であるとすることで、世論を操作しようとするが、実は我々と変わらない人々であること。日本の社会は、危機管理意識が高まり他者に対する不安や恐怖が強くなり「特別警戒実施」が日常になってしまっていること。不安を高め善悪のような二項対立構図にすることで、世論に受け入れやすくなるというあやうさがあること。
我々とかわらない普通の人々の集団が、世界を救済しようという意識を肥大化させたとき組織が暴走したその結果が、オウム事件ではないかとしている。
でも待てよとも思う。あの事件はオウムの組織的犯罪であることには間違いはないはずだ。彼等は純粋かもしれない。しかし、その我々と別の世界でない人々の集団が、とてつもない組織的犯罪を起こすというのであれば、かえって恐ろしいことであるというのが、この映画の訴えかとも思えてくる。