「上ノ台遺跡」を訪ねる
2008年 01月 10日
遺跡の立地している地域を、大玉扇状地と呼ばれる地域であるとして、以下のように特徴を述べている。
遺跡が立地する地域は‥‥‥(中略)‥‥‥安達太良火山から供給された安山岩質礫が古杉田川と古安達太良川とによって運搬・堆積されたものと考えられている。さらに、扇状地の各所に見られる小丘陵は、安達太良火山から流出した泥流丘陵が扇状地堆積物に埋め残された跡と考えられる。
まず、その報告書をもとに、位置を確認してみる。最近道路の拡幅工事をした農面道路と舘方面からの道路と交差留地点に、点滅信号機がある。そこに集会所があるのだが、その上部の山らしい。
見当をつけて脇道に入ってみたら、別の地点に行ってしまった。もう一度戻って様子を見ると、集会所の南側に道路がありそうだ。そこを登ると、民家が一軒あって、その右手に集会所の上にでれる道路らしきものがあった。そこを登ってみると、無事公園に到着した。
北東のはずれに案内板があるので確かめると「上ノ台遺跡」の説明板であった。文章の部分は、剥がれて読めなかったが、公園の位置と遺跡の位置を示す図は読み取ることが出来た。
その地図をもとにして、位置関係を確かめてみた。発掘現場は、公園の一段高くなっている所あたりの右手から山際にかけてらしい。
案内板では、遺跡の説明は読み取れないので、報告書でこの遺跡の特徴をまとめておく。
報告書では、竪穴住居跡10軒、土抗13基、溝跡3条、ピット5個、屋外炉1基の検出と、出土品の縄文土器片1250点、土師器片6600点、石器類112点、須恵器片1点、土製品5点、石製模造品5点をもとに、縄文時代前期前葉頃機能したものと古墳時代に機能したものと大きく2時期あつたとした。その上で、以下のように特徴を述べている。
なかでも、塩釜式期の竪穴住居跡が出土した、大玉村では、2軒目の張り出しピットを持つ大型住居跡が検出されたこと。また、‥‥‥(中略)‥‥‥縄文時代の竪穴住居跡が検出できたことは大きな成果であった。塩釜式期の竪穴住居跡は、調査区の西端中央あたり、2軒目の張り出しピットを持つ大型住居跡は、調査区東端中央当たり、縄文時代の竪穴住居跡は、この大型住居跡と重なった北側のもののようだ。
縄文時代の竪穴住居跡1軒を検出できたが、ほとんどは古墳時代前半のものが中心であって、一部古墳時代後半のものと特定されるものもあるという状況のようである。
気になるのは、塩釜式期について知識を持ち合わせていないことだ。もう一つ、張り出しピットを持つ大型居住跡の大玉1軒目はどこにあるのだろうかということも気になる。
更には、現玉井小プール建設地などを観察すると、明らかに火山灰である。これは、安達太良山の噴火による火山灰が積み重なったと思われる。上記地質考察は、遺跡の立地する狭い範囲の地質考察ではなかろうかと推定するがどうだろうかということだ。