本宮に立ち寄って
2007年 11月 22日
「福島県の歴史散歩」には、本宮という地名は、安達太良神社に由来するという以下の概略が記されていた。
菅森山にあるこの安達太良神社は、安達太良山の三所明神の里宮として久安2年(1146)にこの山の中腹に遷座され、本宮の由来だとのことである。文化3年(1806)に火災で焼けた後に菅森山の山頂である現在地に移された。ここは戦国時代の菅森舘とのことだ。
南側には、本宮小学校があり、そちら側に回りこんでみた。
戦国期の鹿子田館があったのは、ここの西側の台地である大黒山とのことだ。ここには畠山氏の一族である鹿子田畠山(鹿子田)満詮氏の居城があったという。それで、道路に戻って北側に回りこんでこの山を眺めてみた。
本宮氏は常に宗家畠山氏と緊張関係にあり、伊達氏に親しかったが、「伊達天文の乱」の種宗晴宗父子の争いの際、本宮宗頼は種宗側の畠山義氏に攻められ岩城へ落ち、後の回復はなかったそうだ。しかし、その後も伊達氏に協力しているという。
本宮城はその後、二本松の城代が在城したが、政宗によって二本松城が包囲されるにいたって、実行支配を失い、政宗の本陣となったという。
本宮城や本宮氏についての記述を確かめていくと、よくは分らないが菅森舘と鹿子田館についての混同があるような気がする。本宮城築城についても、戦国時代初期の明応年間(1492~1501)岩城正兼が城主と伝わるとするものもある。
今のところ、うまく整理できないでいる。