下関市長が鶴ケ城健康マラソン大会に初参加
2007年 10月 02日
今、改めて会津を見つめ直そうと探索しているところだが、そんな折、下関の市長が鶴ケ城健康マラソン大会に参加したことを報じる新聞記事を見つけた。特別インタビュー記事も掲げられていた。
大きく取り上げたのは、地元紙「福島民報」(2007.10.1)だ。長州の中の市長が、会津の行事に初めて参加したという意義の大きさを伝えようとするものだと思う。
「互いの歴史を見つめ市民レベル親交を」という見出しのインタビュー記事だ。
西軍墓地や飯盛山に訪れたことについては、次のように語っている。
西軍の犠牲者も慰霊していただいていることに感銘を受けた。会津を学ぶにつれ、子女の自決など悲惨な事実にも触れ言葉もない。
ただ、長州は勝った歴史ばかり語られるが、長州征伐や四国連合艦隊による砲撃などの苦難もあった。日本人同志が殺し合う戦争はこれでおしまいにしたいと昔、国会で語られた事実は心打つものがある。
会津と長州の間に横たわる感情については、次のように語る。
戊辰戦争から140年を経ても、ひいおじいさんが戦ったという事実は決して昔話ではない。新しい時代を迎えるために払った犠牲は大きかった。そして、同行した下関市民の感想にふれながら、次のようにまとめている。
会津からも来てもらい、長州を歩いてもらえば、どうして攘夷から討幕に変わったかも分かってもらえるはず。遠慮して東軍墓地の案内は控えているような気がする。しかし、本当に互いの遺恨を理解して頂きたいのなら、遠慮すべきではないと思う。
亡くなった方の取り扱いに、敵も味方もないはずだ。恨みを遺骸の取り扱いに向けた姿勢は、許してはいけないことだと思う。たとえ日本人同志が殺しあうということが和解されても……。表面的な和解も大切であり、意義があると思うが、恨みの根源にかかわることも理解していただくことも大切だと思うのだ。