地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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土湯の太子堂へ行ってみる

 先日土湯温泉に寄った時、案内板に誘われて、散策するでもなく太子堂まで行ってみることにした。
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  ここの太子堂は、いろいろのいわれはあるようだが、工人たちの心のよりどころというのがが似合うと思っている。ここは、土湯こけしにかかわる方々が、信仰の中心地としてのシンボルにしたところであろうと勝手に想像している。
  太子堂自体は、享保11年(1726)に建てられているようだ。

 来てみると、太子堂以前から、ここは人々の心のよりどころになっている地であるという感じがする。
 
  原点は、興徳寺という寺が象徴しているようだ。
伝説では700年以上も前に光徳寺という寺があったことになっている。
歴史らしい言い伝えでは、この興徳寺は、元和元年(1615)米沢の侍大将直江山城守が恩になった九山和尚という立派なお坊さんのために造ったとされる。
  この寺、現在は寺というイメージよりは、普通の住宅のような建物になっている。数度の火災で焼け落ちては建てるということを繰り返していたらしい。
  嘉永3年(1850)には、寺の本堂が火事で焼けるが、万永元年(1860)造りなおしたとのことだし、昭和29年(1874)火事で焼け落ちるが、昭和46年(1971)に今のような形に造りなおしたという。
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  趣を感じるのは、焼け残った方だ。こちらは、一つ一つに歴史が刻まれていることを実感する。

  石碑が建っている台石は、1850年に焼けた堂の台石とのこと。また、近くの地蔵は、一つは、土湯村を開発した阿部さつまが、1650年に亡くなったので、50年後の1799年に供養のために建てられたものであるとのこと。その左側の供養塔は、天明7年(1787)に、鳥谷場山(油畑)の山崩れで、32件の家が埋められ、22人が死んだ災害の供養塔とのことだ。
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 太子堂に真っ直ぐ登る階段は、今は使われなくなって、苔むしていた。

 地元の「宿六修行中」というブログ(http://okojp.at.webry.info/200709/article_6.html
)に、興徳寺について書いた直江氏と九山和尚についての記事がある。

※ 2009大河ドラマは「天地人」であることを知ったことを機会に、「直江兼続と九山和尚」にかかわって書いた部分を整理した。(2007.10.17)
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by shingen1948 | 2007-09-12 05:12 | ◎ 山歩きと温泉 | Comments(0)