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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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二本柳宿のシンボル「二本柳」

  根崎の道標の「愛宕山」の説明の中に、「丹羽氏による町割り以前は、二本柳まで人家一つない広野であったので大原といった。」という説明があった。
二本柳宿のシンボル「二本柳」_a0087378_415529.jpg
 その二本柳宿は、二本松宿から1里で、八丁目宿へ31町の距離とのこと。智恵子の実家である酒屋前の道路が、旧奥羽街道であり、この道路を頼りに、それらしい道を辿ってみる。
 旧4号国道に出るところで、目印となる二本の柳と由来碑を見つけた。行き当たりばったりに訪ね歩くと、発見の喜びは大きいが、よく知ることはできない。
二本柳宿のシンボル「二本柳」_a0087378_4165892.jpg
 二本の柳の間にあるのは、「二本柳之由来」とある昭和10年建立の石碑と、「記念碑」とある昭和27年建立の石碑だ。二本柳の由来は、この地を訪れた旅の僧が柳の枝を二本挿して防火の祈祷を行い、その枝がそのまま根付いたことによるとのことだ。

  二本の柳と由来碑がここにあるのは、昭和26年に行われた拡幅工事でとりのぞかれたということだ。それで、石碑をここに移したとのことだ。柳の木は切り倒されてしまったようだ。ここの柳は、新たに植えられたものらしい。
二本柳宿のシンボル「二本柳」_a0087378_4174071.jpg
  奥羽街道旧道と思って旧国道四号線に抜けてきた道は、明治の新道で、旧道は左折して二本の柳宿になることが分かった。この明治の新道を作ったときには、柳の木は生き残ったようだが、拡幅工事で、撤去されたようだ。

  芭蕉道であり、戊辰戦争の西軍が、二本松奪還をめざす福島方面からの攻撃を守備する位置でもあり、町割り以前は、ここから二本松まで大原だった位置でもあるという想いを持って、二本柳宿を確かめたい。
by shingen1948 | 2007-07-09 04:19 | ◎ 奥州街道 | Comments(0)