大壇口古戦場は、二勇士の奮戦の地でもある
2007年 06月 19日
大壇口古戦場は、二本松少年隊が出陣し、奮戦した所であるとともに、二本松少年隊の兄貴分の木村銃太郎の戦死の地であることは直ぐに理解がいくが、そこに二勇士の碑がある。
説明板に、「少年隊を援護して壮烈な戦死をとげた青山助之丞、山岡栄治の二勇士の奮戦の地でもある。」とあることから、青山助之丞、山岡栄治が、この地で奮戦し、戦死したことは分かる。
ある説明では、二勇士は、小野新町へ出陣していたが、隊は三春藩の裏切りで退却となり、二本松へ戻った二人は、大砲方として大壇口へ出陣したという。また、別の説明では、二勇士は、愛宕山を陣とする朝河隊に所属していたとするものもある。
どちらにしても、この地で、二人の20代の若者が、少年達の退却を助けるため、その場に残り、大刀を振りかざして斬り込んだが、敵の銃弾によって命を落としたということらしい。いくつかの説明をみると、共通するのは、2人は9人の西軍の兵士を刺したということだ。
この地で、年行かぬ少年たちを何とか退却させようとして、木村・青山・山岡の三人の若者が、奮戦して命を落としたということのようだ。このことは、退却した少年達が、あちこちで命を落としているという事実からも、三人の若者のこの地での心遣いを窺い知ることが出来る。
意外なのは、この戦いの相手は薩摩藩のはずだが、案内板の説明文を見る限り、会津での蛮行は影をひそめている。少なくとも以下の二つの歌から、西軍の指揮官には、人として恥ずかしい行いをここではしていないと思われる。
西軍の隊長野津道貫の歌
うつ人も うたるる人もあわれなり ともにみくにの民とおもえば
陸軍大将従二位木越安綱の歌
色かへぬ 松間の桜散りぬとも 香りは千代に残りけるかな