地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

本宮水害対策 舟使用の意識の根底

本宮の町を散策する時間がとれたので、 阿武隈川沿いを歩いてみた。
a0087378_2152891.jpg 直ぐに目に付いたのは、橋のたもとに現在も使用可能な舟が浮かんでいることだ。地元の人の話では、消防団の方が、練習しているという。8.15水害では、この舟を使って救出活動が行われたとのことだ。大切な水防用の舟である。
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 本宮の公民館前には、安達太良川の堤防が決壊して、水が押し寄せた時の高さが表示されている。本宮町のホームページには、この水害についての記録があり、決壊の様子が分かるようになっていたのだが、本宮市になって、変更したようだ。


 水害対策に、舟を用いることを直ぐに思いつくのは、阿武隈川を舟で渡るという歴史があったからだ。
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本宮宿は南町と北町から構成されて、本陣があったという。この宿場は、岩城街道、奥州西街道、二本松街道が分岐する交通の要衝となっていた。
 奥州街道と会津街道が交わる観音堂から本宮宿に入って300m程のところが、相馬、三春方面に向かう街道と交わる地点で、現在「ふなば」食堂がある所だ。ここから東に向かい、橋を渡って阿武隈川を渡って行く街道がそれだ。昔は、舟で渡っていたようだ。橋のたもとに舟渡場があったという。これを中舟場といったとのことだ。この舟渡場の痕跡は破壊されて全く残っていないが、この阿武隈川を舟で渡る歴史が、水害に舟を利用するという意識と根底で結びついていると感じている。
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  この舟と橋の位置関係の写真だが、雰囲気的に舟渡場の雰囲気を感じておさめたのだが、この橋は、白沢に抜ける道の橋で、舟渡場の位置の写真ではない。

地元の人の話では、ふなば食堂は、橋のできる前は川の向こうにあったそうだ。もともと舟場という地名だったので、その名前を付けたのだということだ。昔から舟を日常の手段としてなじんでいた歴史を感じる。
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by shingen1948 | 2007-04-05 21:18 | ◎ 水 | Comments(0)