めぐみ~引き裂かれた家族の30年
2007年 02月 18日
監督:クリス・シェリダン,パティ・キム
出演:横田早紀江,横田滋,増元照明 ほか
福島フォーラムで、15時50分からの上映を観た。映画館の待ち合い場で、写真展も開いていた。長い間、上映しているせいもあるのか、観客は少なかった。
そもそも「本当に拉致があったのか」自体が疑われたりしたり、世間が冷淡だったり、誰も見向きもしてくれなかった頃があったことは、私にも理解ができる。
10年ぐらい前、もう北朝鮮による拉致は存在したかもしれないということを、皆が思い始めた頃の話だ。関西の人はわれわれ東北人より、北朝鮮のミサイル問題には敏感だということを茶飲み話として話題にしたことがある。私は、それほど深く考えて言ったのではなかったが、「そういうことをいうのは、差別意識があることだ。」と、ある政党を信じている方の強い反撃に合い戸惑ったことがあったのだ。その後、全国紙のM新聞と地方紙のK新報が、北朝鮮を楽園として日本人を送り込んだのは、誤りであったと認める記事を載せたのを読んで、根深いものを感じたものだった。
映画の内容だが、1977年11月、新潟に住む横田めぐみさんが下校途中に突然姿を消したことから描き始める。家出、誘拐の可能性と見て、警察の捜査が始まる。めぐみさんの両親である横田滋さん、早紀江さんは、考えることができるところを総て探すが、どこにもいない。
2年後、早紀江さんは日本海側でのアベック失踪事件の記事を目にし、わが子も北朝鮮に拉致されたのではないかと考え、行動する。だが、13歳の少女という他の事件との相違点から確信がもてなかった。
事件から20年後の97年、北朝鮮元工作員によって、めぐみさんが北朝鮮に拉致され、今も北朝鮮で生きていることが明らかにされる。しかし、これで解決にならない。北朝鮮は、政治と外交の交渉ごとに利用する。
映画は、自分の大切な娘や息子、兄弟姉妹との普通の生活を奪われた人たちの辛さや苦しさをばねに、立ち上がり、踏ん張る姿をありのままに追っていく。
誰が考えても、拉致したのなら、謝罪し、誠意を持って対処するというのが当たり前だと思うのだが、国際社会とはまか不思議な世界である。信じることのできない対応をし続けている。
映画の中に映し出された地村保志さんのお母様のように寝たきりだったり、亡くなった方がいらっしゃったりしている。なんとか家族の方が元気なうちに帰国が間に合って欲しい、切実に心からそう思う。
私にできることは、映画を通して、拉致被害者家族の会の想いを知ることであり、関心があることを知らせることだと思っている。
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