「教育は国家百年の計」の②
2007年 02月 08日
2007.2.8.「朝日新聞」の天声人語も、最後の文節に「教育は国家百年の計」を引用して、再生を掲げる教育改革の危うさを、取り上げていた。
最後の文節を、以下に記す。
文科相は、教育は国家百年の計とも述べたという。それならば、設けるのは締め切りではなく、百年後に耐える議論をするゆとりにしてはどうか。時には、校庭で歓声を浴びてみる。一人一人が元気に育ってほしい。そんな想いが、心の底からわき起こってくるはずだ。
昨日の紹介記事にもあったが、文部科学相の諮問機関の中央教育審議会の総会で、劇作家で、評論家の山崎正和さんが会長に就任した。これに関して、二つの視点から課題を提示している。
その一つは、安倍首相が通常国会に提出する意向を示す教育関連3法案を巡り、2月中か3月上旬にはまとめて頂きたいと述べたことである。百年の計を一ヶ月かけないでまとめろという事に関してである。
その二つは、山崎氏の「日本人には人生がない」と嘆く一説があるとのことで、深い人生観をもとにして、日本の教育を改める必要性を指摘しているということである。期限を性急に切られて、深い議論を期待したいのに、求められることは、政治的な日程であることに関してである。
このように、今までのところ、どの意見も「教育は国家百年の計」と言いながら、やろうとしていることは、教育を政治の具にしたり、哲学をころころ変えたりして、骨太の筋を通そうとしていないのに、百年の計を枕に語ることについての違和感を訴えているというのが、共通の感覚のようだ。