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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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会津の「わたつみのこえ」を聞く33

 「明治学院百年史」の中村メモでは、4月12日の出発の遅れを、山本隊長機の接触事故とするが、「Web東京荏原都市物語資料館」の情報を加えるとそうなる理由まで想像が膨らむ。
 4月5日9時、山本隊は新田原を離陸して韓国済州島に向かう。そして、そこから7日には、杭州(現中国浙江省)に前進したとある。
 そして、11日を迎えるのだが、午後4時に杭州の筧橋基地を出発していることについては、中村メモの情報と同じだが、この時に「山本機は整備不良により引き返し、翌12日午前6時、再度出発する」とある。
 その12日の再出発の際にも、山本隊長機が接触事故を起こして、予定より遅れての出発となったという状況が想像できる。
 それ程、どの機体もぼろぼろの状態だったということが分かる。

 「Web東京荏原都市物語資料館」の「下北沢X新聞(1674) ~武揚隊、一特攻兵士の故郷を訪ねて3~」の記事で、木村氏が長谷川家の菩提寺である西蓮寺前住職秋月亨観氏と会っていることが分かる。
 http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/51703204.html
 昨日、ひっよとすると記事の意図に反しているかもしれないと思いつつ想像を交えて整理したのは、この会話内容について深読みしたかったからだ。

 まず、気になったのが、「『生き残った仲間の人の奥さんが前に、うちに訪ねてきたことがありましたよ。確かね、茨城の人だと言っていました』住職の話である。仲間といえば武揚隊ではないだろうか」とある部分だ。
 昨日整理の生き残った仲間に該当するのは、力石丈夫氏と中村敏男氏で、「仲間」との表現からは力石丈夫氏かなとも思ったが、「明治学院百年史」では、この方は神奈川県在住とある。また、中村敏男氏は大分県在住とのことだ。
 「Web東京荏原都市物語資料館」にも該当するかもしれない方の情報がある。
 済州島へ飛来した時点で吉原薫機が不調を起こし不時着したが、この時に怪我を負ったのか、特攻には行っていないという情報だ。
 この方の出身地の情報はない。結局は分からないままではある。

 次に気になるのが、「石碑が建てられたときに明治学院大の学長がお参りに見えました」との話。
by shingen1948 | 2017-05-24 09:16 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)