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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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会津の「わたつみのこえ」を聞く32

 「明治学院百年史」がいう「信と同じ第一次「学徒出陣」組で特捜2期生だった力石丈夫(神奈川県在住)」氏と「下北沢X物語(3137)~終章:悲運のと号第31飛行隊~」が消息不明者として挙げる「力石文夫少尉 見習士官(特操2期)」は、同じ方ではないだろうか。
 一字違いで、しかも誤ってもおかしくない感じの違いなので、可能性は高いと思う。

 この方の情報を「明治学院百年史」から拾ってみる。
 まずは、「明治学院百年史」が発行された時点で生存者として紹介されている。
 次に、本土から台湾に向かう時に、無事に台湾についたことの記述が見える。
 4月12日信氏を含む第2陣が敵機と遭遇するのだが、その第1陣4機は、4月11日夕刻に出発していてる。その第一陣が「力石少尉を含む第1陣4機」と紹介されてる。従って、氏は無事台湾に着いている。戦後生存からは、出撃して不時着か、出撃それ自体ができなかったかは不明なのだろうと思う。

 もう一方、「明治学院百年史」の中村メモの「中村敏男(大分県在住)」氏は、信氏の上官で、台湾に向かう時の交戦で、右肩撃ち抜かれ左腕に盲貫、顔面に破片による裂創を負い戦闘不能となり、低空飛行で与那国島に向かい不時着された方だが、この方もこの冊子が発行された当時健在だったとされる方がいらっしゃる。
 この方が、「下北沢X物語(3137)~終章:悲運のと号第31飛行隊~」が消息不明者として挙げる「中村欣男少尉 幹部候補生」とは別人なのだろうか。
 この方も一字違いだが、力石のように誤ってもおかしくない感じとも言い難いところはあるが、可能性としてはあるなと思う。

 実は「Web東京荏原都市物語資料館」では、別の意図があって敢えて消息不明者を挙げているのではないのかなと思うところがある。
 例えば、「明治学院百年史」では台湾へ渡った機の数を13機としているのだが、武揚隊の出発前の宮崎神社祈願参拝者が13名である事まで確認している記事がある。他にも記事の隅々にからは「明治学院百年史」を十分に確認していることが読み取れるのだ。
 ということは、敢えて消息不明者を掲げることで、別の情報を得たいという意図があるように感じられなくもない。
by shingen1948 | 2017-05-23 13:44 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)