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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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更にもう一つの奥の細道

 信夫山の大円寺を訪ねてみたのは、蕉風俳諧の影響を受けた楯岡の俳人一具氏が「福島の大円寺住職」だったとの情報を得たからだ。
 「福島の」と冠がついた時には、福島県を指す場合と信夫の里の福島を指す場合がある。大円寺の場合、信夫の里の福島大円寺はいわきの大円寺の末寺とのことであるのでややこしい。
 そこは分からないままにとりあえず来てみたということだ。
更にもう一つの奥の細道_a0087378_1045038.jpg 楯岡の俳人一具氏を知ったのは、高子の熊阪氏にかかわる散策のその2で、その蔵書庫「曵尾堂」について整理したこととのかかわりだ。この「曵尾堂」は、山形市漆山漆山の豪農として有名な半沢久次郎氏の「曳尾堂文庫」に引き継がれる。
 その半沢久次郎氏については、「熊阪台州氏(その2)⑳~「曵尾堂」④」で整理している。その情報の一つが、蕉風俳諧の影響を受けた楯岡の俳人の一人だったということだった。
 https://kazenoshin.exblog.jp/238357924/

 明治以前は、俳諧師半沢二丘として活躍し、山寺(立石寺)の「せみ塚」を建立した一人でもあるとの情報があるとした「山形町細見(山形商工会議所)」。
 山形市大字山寺天台宗宝珠山立石寺根本中堂脇に立つ句碑の建立にもかかわるようだ。「山形県芭蕉句碑総覧」で確認したことを再掲する。

 閑さや巖にしみ入る蝉の聲  芭蕉翁
  陰 左羽に夕日うけつゝほとゝきす 一具
  左 樂書や笹の葉にある清水哉   二丘
  右 花さかぬ草木から風薫りけり  川丈
  嘉永6年(1853)4月
  当山学頭遍明院代遠藤金兵衛 漆山の半沢久次郎二丘の建立
  高梨一具筆

 この時の整理はここまでの確認でやめていたが、この陰の一句「左羽に夕日うけつゝほとゝきす 一具」と建立情報の「高梨一具筆」にある 一具氏を確かめていた。
 すると、この時期、この方は福島の大円寺の住職だったか、江戸に出た時期だったらしいとの情報に出会ったのだ。
by shingen1948 | 2018-11-26 10:06 | ◎ 芭蕉の足跡 | Comments(0)