会津の「わたつみのこえ」を聞く25
2017年 05月 16日
この言葉、確認してようやく分かったつもりになれたところだ。
「兵戈を用いること無し」とは読めるし、兵は兵隊であることは分かるが、戈が分からなかった。これを確認すると、戈は盾と矛のほこの意味で、要は武器のことらしい。
「兵も武器も用いること無し」ということになるようだ。
もうちょっと確認を進めると、「大谷大学」ホームページに、生活の中の仏器用語としての次のような解説を見つけた。
「武器も軍隊もいらない」という意味である。
浄土三部経のひとつ「大無量寿経」に出てくる言葉である。釈尊が悪を戒め信を勧められるところで語られるのだ。この背景には「不殺生」「殺すなかれ」という釈尊の思想がある。
釈尊の時代にも戦争はあった。大規模な戦ではなくとも、人が人を傷つけ、武器を持って殺しあうのは人間の最も愚かな行為でありながら、絶えることがない。そのような人間の有様のただ中で、釈尊の世の祈りを示す言葉として語られたといって良いだろう。
「大無量寿経」については「ウィキペディア」で確認する。
「無量寿経」の漢訳の項に、次の説明がある。
「仏説無量寿経は、経名に「大」の字を冠して大無量寿経』と称し、略して『大経』とも称する。日本の浄土教の根本聖典の一つで、「仏説観無量寿経(畺良耶舎訳)」「仏説阿弥陀経(鳩摩羅什訳)」とともに「浄土三部経」と総称される。「浄土真宗(ドットインフォ)」というページを確認すると、長谷川家の菩提寺西蓮寺の宗派は浄土真宗のようであり、昨年9月の「親鸞教室」で、「非戦平和」をテーマに太平洋戦争末期、特攻隊員として戦場に向かった西蓮寺門徒「長谷川信少尉」の手記をもとに講座を展開したようである。
浄土真宗の宗祖とされる親鸞は、この経典を特に重んじ、浄土真宗の最重要経典である。また「浄土三部経」の中でも、「大無量寿経」を根本経典と位置付けている」
http://jodo-shinshu.info/2016/07/03/6912/
「Web東京荏原都市物語資料館」では、この「平和の碑」の建立に至る経緯は、「わだつみのこえ」(2002年7月15日発行)116号に西蓮寺住職は秋月亨観氏が「 西蓮寺『平和の碑』建立に思うと題する記事がある事を紹介する。
その記事を確認することを試みたが、今のところできていない。
ただ、「悲劇の石碑涙の祈りを忘れない(駒野毅)」という【朝日新聞】コラム欄(2016/7/7)の結語の部分に、次のように紹介されているのを見つけた。意図されることは大差ないものと想像する。
会津若松の長谷川家の菩提(ぼだい)寺西蓮寺に「兵戈(ひょうが)無用」の碑がある。 悲劇を忘れぬため02年に前住職の故秋月亨観(こうかん)さんが建立した。大無量寿経 にある恒久平和を祈る言葉だ。信が涙した祈りを忘れてはならない。