会津の「わたつみのこえ」を聞く24
2017年 05月 15日
その間に発行される週刊誌、新聞の記事、それに信氏の母校明治の百年史の発刊なども影響し合っている。
その「明治学院百年史」が発刊については「会津の『わたつみのこえ』を聞く⑥」から「会津の『わたつみのこえ』を聞く⑨」に整理しているが、これが昭和52年(1977)だ。
「明治学院大学の戦争責任への取り組みと平和教育をめぐって」によれば、これには「朝日新聞」夕刊が肯定的に反応しているとのこだ。
その後の会津の人々が会津の「わたつみのこえ」をどう聞いたかということで確認できるのが、信氏の菩提寺だ。
「朝日新聞」のザコラム「悲劇の石碑涙の祈りを忘れない(駒野毅2016/7/7)」に、平成14年に、長谷川家の菩提寺である西蓮寺住職が「兵戈無用」の石碑を建てたことがふれられている。
「Web東京荏原都市物語資料館」で、その石碑の概要が確認できる。
その石碑の礎石に「学徒出陣された長谷川信氏(西蓮寺門徒)のこえ」とあって、「きけわだつみのこえ(日本戦没学生の手記から 東京大学出版会発行)」に収められている日記の一節が記される。
[昭和19年4月20日]
明日から食堂にいって
食卓に坐る時、お念佛しようと思ふ。あのいや
な目付きを自分もしてゐると思ったらゾーッとする。
眼を閉って、お念佛をしよう
と思う。
[昭和20年1月18日]
人間の獣性といふか、
そんなものの深く深く
人間性の中に根を張っ
てゐることを沁々と思ふ。
(人間は、人間がこの世を創った時以来、少しも進歩していないのだ)
今次の戦争には最早
正義云々の問題はなく
ただただ民族間の憎悪の
爆発あるのみだ。
敵対し合う民族は
各々その滅亡まで戦を
止めることはないであろう。
恐ろしき哉、浅ましき哉
人類よ、猿の親類よ。
―抜粋―
氏は昭和20年4月、特攻隊員として沖縄沖にて戦死、享年23歳
21世紀第1年12月西蓮寺20世利(?)之
「Web東京荏原都市物語資料館」では、それとなく18日とされる手記は、20日の手記の最末尾の部分であり、()部分が中略されていることを思わせる紹介になっている。