地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

会津の「わたつみのこえ」を聞く23

 会津の人々は、会津の「わたつみのこえ」をどう聞いたかということで、まずは御両親について整理したが、次に確認できるのが、親友の浅野恒氏。
 この方については、先に「会津の「わたつみのこえ」を聞く⑲」で整理している。

 ご自身が神への献身を決意して日本聖書神学校に学んで牧師になられるのも、この日記を読んで受けた大きな衝撃が一つの契機になっていたと思われるということだった。
 そして、この方が日本聖書神学校の神学生であった昭和23年の戦没学徒兵の遺稿の募集に、信の日記を写しとって応募したということだ。

 当然、長谷川家に頻繁に接触しているはずで、母シゲさんがひどく取り乱していることも、父敬治さんが、信が送って来た日記に読みふけっていたことも目にしていただろうと想像する。
 母親のシゲさんも、信氏の親友である彼に気を許し、松本の温泉で宿の方から聞いたお話も繰り返し繰り返しとめどなく話したのではないのだろうか。
 また、ご両親の念願でもあった湖畔戸ノ口のゆかりの場所に、日記の一節を刻み込んだ石碑を建立しようということにも協力しているだろうし、建立された石碑も訪ねているだろうと思う。
 
 そんな背景があって、彼は信氏の日記を写しとって応募したのだろうと想像する。
 その戦没学生の手記第一集「きけ わだつみのこえ【岩波書店】」が出版されるのが、昭和24年10月とのことだ。

 更に、「会津の「わたつみのこえ」を聞く⑤」で整理した信氏の会津高時の恩師小林貞治先生とその奥様が確認できる。
 信氏が会津中学に入学した昭和10年(1935)当時、小林先生は26歳。信氏が出撃前に訪ねて来たのが昭和20年(1945)で36歳。
 昭和40年(1965)に「会高通史」に、「『戸ノ口』にまつわる悲話一つ(小林貞治)」出筆するのが相馬高校校長時代。その夫人は、信氏の小学校の恩師とのことだが、この方が「湖畔の碑」が「短歌研究」に佳作入選するのが昭和43年(1968)。

 なお、親友の浅野恒氏が戦没学生の手記第一集「きけ わだつみのこえ【岩波書店】」に応募し、出版された後、この「会高通史」に恩師小林貞治先生が「『戸ノ口』にまつわる悲話一つ」を出筆する間の昭和34年には、特集「戦争に失われた学徒兵の青春」の記事が載った「週刊現代」が出版されている。
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by shingen1948 | 2017-05-14 06:43 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)