会津の「わたつみのこえ」を聞く21
2017年 05月 12日
確認しておくと、「妹が満州医大進学希望だった」というのは読み取りの誤りであり、満州医大進学希望は信氏自身だったことだ。このことについては、「会津の『わたつみのこえ』を聞く④」で訂正したところだ。
もう一つ、地元ならではの情報としたのことがあった。
幼馴染みの少女の動向だ。
小学校から同級だった女性Fさんへの思いについては友人達も周知の事とする。その彼女も東京の学校に進学したとのことだ。
これも地元ならではの情報としていたところだ。
この部分の「『きけわだつみのこえ』と長谷川信(栗木好次)」の紹介を確認しておく。
前段で、なぜ明治学院を選んだかについては諸説あるとした上で、決定的な理由は彼のいう贖罪としての奉仕の場を明治学院高等部社会事業科に見出したことだとする。
その上で、諸説について次のように解説する。
諸説は満州医大を諸般の事情により断念、東京の叔父の養女となった妹が東京の学校に入学したこと、彼と小学校の同級だった女性Fへの思い(これは友人たちにも知られるほどになっていた)、この女性が東京の学校に進学していたことも理由の一つとして忘れてはなるまい。この中の「女性Fへの思い」というのが、いろいろ確認していくと、週刊誌ネタだったのではないのか思えて来たところだ。
日記の原本がないので、その週刊誌の掲げる情報と照らし合わせ、それまでの東京での生活を嫌がっていた信氏が明治学院を選んだ理由の一つになっているとした「明治学院百年史」の記述の紹介だったのかもしれないと思えてきたところだ。
少なくとも、地元ならではの情報というのは違う可能性が高いので、訂正しておく。
「女性Fへの思い」についての情報の質についてだが、週刊誌ネタの視点ではあっても日記の表現を精査した上での事であり、「『きけわだつみのこえ』と長谷川信(栗木好次)」がいうように、これも一つの成果と見るべきだろうと思う。
それとの関りで、日記喪失の遺憾な事をもう一つ掲げたい。
近年「Web東京荏原都市物語資料館」では、出陣の直前に松本の朝倉温泉で学童疎開の児童と武揚隊とが交流したことが分かったらしい。日記の原本、特に出陣近くの辺りの記述を確かめ、長谷川信氏の心情を考察したいところなのではないかと想像する。
前回は日記喪失についての基本的な遺憾なことを二つ掲げたところだが、今後は事実が判明した時に、こういったことについて日記の記述を確かめるという精査ができなくなったということも遺憾な事だと思う。
これを三つ目の遺憾な事として整理しておきたい。