地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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会津の「わたつみのこえ」を聞く⑰

 「世田谷ボランティアセンター」のページの「セボネ8月号特集『世田谷の疎開児童と特攻隊の出会い~戦争体験を聴く会、語る会より~』」と題した記事があり、その中の「特攻隊の若者の思いを聴く」という項が、昨日まで整理している疎開児童秋元佳子さん証言とかかわることだと思われる。
 http://blog.canpan.info/setabora-vc/monthly/201508/1

 昭和20年3月の数日間、世田谷の疎開児童たちと出会った特攻隊(武揚隊)の若者15人が、出撃の前日の壮行会に「別れの歌」を東大原小学校の100数十名の女子の前で歌を披露したとのことだ。
 この歌詞とメロディーを記憶していた疎開児童が秋元佳子さんだと紹介されている。その歌詞を引かせていただく。

  1.広い飛行場に黄昏れ迫る
    今日の飛行も無事済んで
    塵にまみれた飛行服脱げば
    かわいい皆さんのお人形

  2.明日はお発ちか松本飛行場
    さあッと飛び立つ我が愛機
    かわいいみなさんの人形乗せて
    わたしゃ行きます◯◯へ

  3.世界平和が来ましたならば
    いとしなつかし日の本へ
    帰りゃまっさき浅間をめがけ
    わたしゃ行きます富貴の湯へ

 その歌詞を見れば、その解説にもあるように、都会のかわいい女の子たちが心をこめてつくったお人形を飛行機に乗せて、沖縄に「死ぬために」向かうとある。この特攻隊(武揚隊)の若者15人には、当然長谷川信氏も含まれる。
 信氏の飛行機にも、このお人形が乗っていたということだ。

 そして、宿の人は、訪ねて来た信氏の母親にこの出撃の前日の壮行会の様子は伝えた可能性は高いのだと思う。
 「結局会うことは叶わず」という会津の情報からは、結局無駄足だったというニュアンスが感じられる。その前の秘密の情報を聞き出したことと共に、やってはいけない行動の結果としての表現のように読み取れるのだ。
 しかし、実際には、建前の世界を超えた母親としての本音の行動は、「結局会うことは叶わなかったものの、その代わりに宿の方から疎開児童との交流の話や、壮行会の様子の話など、ここでの生き様にかかわる生活の様子などの情報を得て帰っていった」ということではなかったのかなと思うのだが、どうだろうか。
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by shingen1948 | 2017-05-08 09:29 | Comments(0)