地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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会津の「わたつみのこえ」を聞く⑮

 極秘の部分もあって松本飛行場と浅間温泉が特攻の出撃基地となっていたことは、あまり知られていないという。
 しかし、ここは沖縄決戦に備えた後方支援基地となっていたようで、昭和20年3月を中心に児童の疎開先の旅館には数多くの航空兵がいたという状況が読み取れる。
 そして、ここ浅間温泉では、その疎開児童と特攻隊員の間には、哀しくも温かい人間の交流があった事ということのようだ。当然、こちらもあまり知られていなかったということだ。
 地域を散策する者としては、「『きけわだつみのこえ』と長谷川信(栗木好次)」の付記にあるように、心に刻んでおきたい事である。

 「Web東京荏原都市物語資料館」から、信氏の所属する「武揚隊」の浅間温泉での情報を探す。 「会津の「わたつみのこえ」を聞く③」で整理したように、昭和20年3月初旬、両親は何となくただならぬ雰囲気を感じて、母母シゲさんは、基地まで後を追っている。結局、会うことはできずに宿の方から生活の様子の話を聞いても戻って来たということだった。
 その時に宿の方が話されたことや母親が感じた宿の空気感のようなものを探りたい気がするのだ。

 「下北沢X新聞(1668)~武揚隊、一特攻兵士の行方再び4~」という明治学院を訪ねる記事の中に、疎開児童から聞いた「ハセガワ」と「きけわだつみのこえの武揚隊長谷川信少尉が同じ方かを確かめる部分がある。この辺りの記事に、浅間温泉での武揚隊の特攻隊員と疎開児童との交流が分かる情報がちりばめられる。
 http://blog.livedoor.jp/rail777/archives/51700705.html

 まず、「松本浅間温泉の富貴の湯に特攻隊、武揚隊は宿泊していた。往事、ここには東大原国民学校の学童が疎開している。その一人から「ハセガワ」という隊員のことを聞いていた。彼は子どもたちには深い印象を残していた」とある。
 次に、この疎開児童に「わだつみのこえ記念館」の長谷川信氏の写真を送って確かめることが記されるが、その疎開児童を「疎開学童だった秋元さん」と表現しいる。

 秋元さんの話はメモに基づいてまとめたものであると断りながら、次のように記される。

 「わたしたちは、旅館の二階の小部屋にいました。みなとても懐いていました。当時、国民学校五年生、みんな子どもですよね。だけど人によってませていたり、そうでなかったりってあるでしょう。この写真が来てから思い出すことがあったのですよ。Sさんという方で確かこの長谷川さんの写真を持っていたはずですよ。それで電話をかけたんですよ。経堂に住んでおられて前に行ったこともあります。そしたら、今取り込み中だと言われたんですよ。病院に入っていて危ないみたいなことを言っておられましたね…」
 「このSさんという人、長谷川さんを好きだったんですよ。前に言っておられましたね。長谷川さんが初恋の人だっていうことを……」

 次の記事では、疎開児童は秋元佳子さんになっている。
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by shingen1948 | 2017-05-06 09:21 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)