会津の「わたつみのこえ」を聞く⑫
2017年 05月 02日
唐突な話の転換に戸惑ったのは、当方が最近の話題に疎かったからだ。
福島地区では原発事故で奪われた日常で心に余裕がなかった時期、会津地区では「疎開児童の見た特攻隊(きむらけん)」の話に信氏の所属する特攻隊誠31飛行隊(武揚隊)がかかわっていることが話題になっていたらしいのだ。
今回は、そこを繋いでおきたい。
前回は、信氏の所属する特攻隊誠31飛行隊(武揚隊)は、昭和20年2月10日に第5航空師団司令部の所在する新京において編成されたことについて整理した。
「明治学院百年史」を確認すると、この隊のその後の動向が次のように記される。
誠31飛行隊(武揚隊)は、新京で身辺整理などに1週間を過ごした後、待命のために一度本土に戻ることになり、2月下旬には長野県松本に到着、以降約40日をそこで過ごした。信たちが宿泊したのは浅間温泉「富貴湯」旅館であった。先に記した信氏の最後の帰郷は、この待機の期間中の事だったが、今回の話題は、この「長野県松本で約40日過ごした」時期に、疎開児童達との交流があったことが最近知られるようになった事とのかかわりのようなのだ。
それは、ここでいう「疎開児童の見た特攻隊」のきむらけんさんが丹念に調べて分かったということのようなのだ。
実は、今回会津の「わたつみのこえ」を聞いてみようと思ったきっかけの一つは「Web東京荏原都市物語資料館」サイトにふれた事なのだが、確認していったらこのサイトがそのきむらけんさんがその運営にかかわっているということが分かったのだ。
この話題は、詳しくは「鉛筆隊と特攻隊(きむらけん)」に整理されているようだが、とりあえずはこのサイトからその情報を拾わせていただくことにする。