熊阪台州氏(その2)49~高子山の「高子二十境」⑩
2018年 05月 23日
ただ、この「白雲洞」は「高子二十境」の十九番目にあたり、その二十番「古樵丘(こしょうきゅう)」がそのすぐ隣の丘だ。「白雲洞」の散策時にはそちらの案内表示も見ている。
「高子二十境」の最後の二十番を残すのは区切りが悪い。
「谷文晁、高子二十境図を描く(磯崎康彦)」をガイダンスにさせていただき、こちらも整理しておく。
まずは、熊阪覇陵氏の五言絶句とその釈文とその解釈。
古樵丘 熊阪覇陵
独酌古樵丘 独酌す古樵丘
詩成自飄逸 詩成って自ずから飄逸(ひょういつ)
酔看浮雲過 酔うては看る浮雲の過ぐるを
醒愛明月出 醒めては愛す明月の出づるを
ひとり古樵丘で酒を飲む
詩ができ俗事から離れた隠士となる
酔ってはよぎる浮雲を見
覚めては明月の出を愛す
素人判断だが、熊阪氏が抱く高子山の屋敷のイメージと重なっているような気がする。
高子山の熊阪屋敷は、その屋敷が建つ地を「白雲館」とイメージし、その屋敷自体を「明月楼」とイメージしている。「明月楼」の明月と浮雲を白雲と見て「白雲館」とするイメージとの重なりだ。
次に、熊阪台州氏の五言絶句とその釈文とその解釈。
同前 台州
一自樵翁去 ひとたび樵翁のさりしより
遺蹤惟古丘 遺蹤(いしょう)惟(た)だ古丘のみ
于今明月在 今に于(お)いて明月在り ※于(ここにゆく)
依旧白雲浮 旧に依りて白雲浮かぶ
覇陵翁が世をさり
古樵丘もただの古丘となった
しかし今も明月は昇り
白雲は浮かぶ
ここでまた素人判断だが、辞書的には樵は林業に携わる者の事だが、ここでは、ここに暮らす庶民の生計の一つであり、半ば隠逸の士の生業でもあるとのイメージと重ねる。
その半ば隠逸の士=樵翁=覇陵翁かな?
「白雲」は「隠逸の世界」のイメージであることを先に確認したが、ここに浮かぶ白雲は、まさにそのイメージで、俗世を離れた隠逸の士が住む幽居深山仙郷に漂う雰囲気の象徴となっているのかな?
更に、熊阪盤谷氏の五言絶句とその釈文とその解釈。
同前 盤谷
銜杯爽気来 杯を銜(ふく)めば爽気(そうき)来たり ※銜(くわえ)る
高枕白雲開 枕を高くすれば白雲開く
偏愛丘中趣 偏愛す丘中の趣
陶然殊未回 陶然(とうぜん)として殊(こと)に回(かえ)らず
杯をかわせばさわやかな気分となる
枕を高くすれば天空に白雲浮かぶ
丘中の趣はすばらしく
満足して帰宅するのも忘れる
地域を散策する者としては、俗世での成功を選択せずに、高子の仙郷に隠逸の士として住むことを決意した心境のようなものも感じる。