会津の「わたつみのこえ」を聞く⑪
2017年 05月 01日
その時に編成された隊が、陸軍特別攻撃隊武揚隊(誠31飛行隊)ということだ。
「『きけわだつみのこえ』と長谷川信(栗木好次)」では、「明治学院百年史」を資料として、陸軍特別攻撃隊武揚隊(誠31飛行隊)の編成について次のように紹介する。
昭和20年2月1日付、中村敏男を含め将校2人、30人の特操見習士官の中から力石、長谷川の2人、教育飛行隊長山本薫中尉、少年飛行兵4人、整備担当伍長1人の計10人が特攻隊員としての命令を受けた。「明治学院百年史」では、この昭和20年2月1日付で10人が特攻隊員としての命令を受ける時に、現場の指揮官が特攻志願者の意志を尊重してそれを活用するという便法使用の実際が紹介されている。
10日第5航空師団司令部の所在する新京において別に選ばれた6人と合流、山本中尉を隊長とする誠31飛行隊(武揚隊)が編成された。
長谷川信は力石と共に同日付で少尉に昇進した。
その前提には、先にも示したように第23教育飛行隊は、地上の目標を急降下爆撃する軽爆撃機の操縦者を養成するためのものものであり、特攻隊員の補給源とされるのは必然であったということがある。
(そういう状況下で、)昭和20年1月末に、漸く一人前の操縦者としての技倆を身につけた隊員たちが集められ、「栄誉ある」特攻隊員を募る旨の示達があり、志願者は〇印、志願しないものは×印を記した紙を提出するように命じられた。
信を含めて全員が〇印を記入したことは、おそらく間違いあるまい。
その後、選に洩れた者が上官に自分に代えてほしいと詰め寄る雰囲気だったことや力石氏の証言も挙げる。しかし、それがなくても、実際には全員が志願せざるを得ない強い心理的な圧力が作用していたことを想像するのに難くない。
力石氏と長谷川氏の2人は、その希望する30人の特操見習士官の中から選ばれて特攻隊員となったという形式で、特別攻撃隊の命令を受けたということだ。