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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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会津の「わたつみのこえ」を聞く⑩

 「Web東京荏原都市物語資料館」によれば、本土では、(特攻という) 人の命の犠牲を前提とした作戦を天皇の名において実施するのはまずいと考え、現場の指揮官が特攻志願者の意志を尊重してそれを活用するという便法を使ったという。
 従って日本本土では皇室は関わらせなかったとのことだ。

 ところが、実際に編成を請け負った第二航空師団というのは、関東軍傘下にあった。
 それで、昭和20年2月10日に、「関東軍、第二航空軍主催の編成及出陣式並びに特攻四隊の全員が出席して盛大な壮行会を開催」された際に、関東軍の采配によって満州国皇帝謁見も行われたのではないかということだ。
 その謁見のときの印象の記録として、「憧れた空の果てに(菅井薫)【鳥影社】」からの引用として以下の事が紹介される。
 一際長身の体躯を軍礼装に包んだ満州国皇帝の溥儀皇帝閣下に拝謁の光栄を賜る。すでに委細承知の上での拝謁、陛下の御目に潤いのあるのを認められた。感激も新たに宮内府を後にした。
 
 その謁見の裏付けとなるのが「恩賜の煙草を包んだ黄色い布」とその証言で、これが最近見つかったとのことだ。
 新京で特攻隊四隊の編成及集結完了時に満州国皇帝に拝謁をして記帳した時に、恩賜品として下賜されたのが恩賜の煙草で、それを包んでいたのがその黄色い布ということのようだ。

 現場の指揮官が特攻志願者の意志を尊重してそれを活用するという便法の実際については、「明治学院百年史」に詳しく記される。
by shingen1948 | 2017-04-30 09:33 | ◎ 福島と戦争 | Comments(0)