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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊阪台州氏(その2)35~「處士台州熊阪翁墓碑」②

 處士台州熊阪翁墓の表題が読みにくいので、この碑の確認には本文も確かめている。
熊阪台州氏(その2)35~「處士台州熊阪翁墓碑」②_a0087378_5351550.jpg これは、昨日整理の本文出だしの諱、字、姓にかかわることが刻まれる部分だが、彫は鮮明で「翁諱定邦、一諱邦、字子彦、姓熊阪氏、本姓兒島氏」が確認できる。

 ここで気になった事の一つが、「本姓兒島氏」とあること。
 系譜にこだわらずに散策していた時点では、漠然と熊阪氏の系譜の中で捉えている。更に、「熊坂家蛍域」原風景の確認でも、実父母とは切れた風景になっている。
 それで、台州氏代の「熊坂家蛍域」原風景確認のために整理した系譜では、原風景理解に合わせて、覇陵氏である定昭氏は、実父児島定悠と切れて、秦豊重のところで養都(やつ)さんと婚姻関係で繋がるように記したところだ。
 しかし、本姓はあくまでも兒島氏ということ。覇陵氏の墓碑でも確認してるのだが、ここでそのことが再確認できるということだ。

 昨日整理の次の段落では、覇陵氏の実父を祖として、「祖、定悠、京に生まれ、奥(奥州)に至り、故(熊阪助利との縁故)有りて熊阪氏を冒す(「白雲館墓碣銘(菅野宏氏)」の釈文より)。」と記される。
 系譜にかかわる部分を確認する。
 
 定悠、片平氏(片平氏娟熊阪助利の弟太次右衛門の妻、やもめであった)に配し、定昭を生む。定昭、秦氏(助利の女秦豊重の養女であった養都(やつ))を娶りて翁(台州)を生む(「白雲館墓碣銘(菅野宏氏)」の釈文より)。

 兒島定悠①(※京に生まれ、奥(奥州)に至り、故有りて熊阪氏を冒す)
   | ― 定昭(覇陵)② 
 片平氏娟    | ―  定邦(台州)③  
       養都(やつ)   
              
by shingen1948 | 2018-03-29 09:33 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)