熊阪台州氏(その2)35~「處士台州熊阪翁墓碑」②
2018年 03月 29日
これは、昨日整理の本文出だしの諱、字、姓にかかわることが刻まれる部分だが、彫は鮮明で「翁諱定邦、一諱邦、字子彦、姓熊阪氏、本姓兒島氏」が確認できる。
ここで気になった事の一つが、「本姓兒島氏」とあること。
系譜にこだわらずに散策していた時点では、漠然と熊阪氏の系譜の中で捉えている。更に、「熊坂家蛍域」原風景の確認でも、実父母とは切れた風景になっている。
それで、台州氏代の「熊坂家蛍域」原風景確認のために整理した系譜では、原風景理解に合わせて、覇陵氏である定昭氏は、実父児島定悠と切れて、秦豊重のところで養都(やつ)さんと婚姻関係で繋がるように記したところだ。
しかし、本姓はあくまでも兒島氏ということ。覇陵氏の墓碑でも確認してるのだが、ここでそのことが再確認できるということだ。
昨日整理の次の段落では、覇陵氏の実父を祖として、「祖、定悠、京に生まれ、奥(奥州)に至り、故(熊阪助利との縁故)有りて熊阪氏を冒す(「白雲館墓碣銘(菅野宏氏)」の釈文より)。」と記される。
系譜にかかわる部分を確認する。
定悠、片平氏(片平氏娟熊阪助利の弟太次右衛門の妻、やもめであった)に配し、定昭を生む。定昭、秦氏(助利の女秦豊重の養女であった養都(やつ))を娶りて翁(台州)を生む(「白雲館墓碣銘(菅野宏氏)」の釈文より)。
兒島定悠①(※京に生まれ、奥(奥州)に至り、故有りて熊阪氏を冒す)
| ― 定昭(覇陵)②
片平氏娟 | ― 定邦(台州)③
養都(やつ)