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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊阪台州氏(その2)34~「處士台州熊阪翁墓碑」

 熊阪氏についての知識がないので、散策資料を読み取るのに苦労した。
 今までの確認で、ようやく「熊坂家蛍域」に建つ案内板の熊阪覇陵氏、台州氏、盤谷氏の熊阪三代墓碑を確認する前提が整ったところだ。
 「覇陵熊阪君墓碑」は先に確認したので、こんどは台州氏、盤谷氏の墓碑を確認する。

 まずは、「處士台州熊阪翁墓碑」。「白雲館墓碣銘(菅野宏氏)」がいう「定邦台州碣銘」だ。
熊阪台州氏(その2)34~「處士台州熊阪翁墓碑」_a0087378_858328.jpg 建立は「文化乙丑春三月」とのことなので、文化2年(1805)だと思う。
 「從二位清原宣光撰」、「從五位下朝散大夫烏山城主大久保佐渡守藤原忠成篆額并書」で、「孝子定秀建」とのことなので、建てたのは盤谷(熊坂定秀)氏ということのようだ。

 「曳尾堂」の散策で、氏の諱とか字が必要になって、「国立国会図書館サーチ」の著者名検索で熊坂・台州を入力して確認した。それが以下の詳細情報だ。

「熊坂台州(クマサカタイシュウ) 1739-1803」
別名:台州(号)・子彦(字)・邦(名)クマサカクニ・クニ・ 定邦(名)・ 熊阪・台州・ 宇右衛門(通称)クマサカシゲン・シゲン

 他に、別号:白雲館/曳尾堂えいびどう/東奥陳奮翰とうおうちんぷんかん/大通館、磐谷の父というのもあるようだった。

 それが、この「定邦台州碣銘」では、以下のように刻まれているとのことだ(「白雲館墓碣銘(菅野宏氏)」の釈文より)。

 翁、諱(いみな)は定邦、一の諱は邦、字は子彦。字は子彦。姓は熊阪氏。本性は児島氏。佐々木盛綱の裔(近江源氏佐々木盛綱の後裔)たり。其の出目に原(もとづ)き、台州山人と号す(比叡山を台嶺ということによる)。
by shingen1948 | 2018-03-27 08:59 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)