熊阪台州氏(その2)34~「處士台州熊阪翁墓碑」
2018年 03月 27日
今までの確認で、ようやく「熊坂家蛍域」に建つ案内板の熊阪覇陵氏、台州氏、盤谷氏の熊阪三代墓碑を確認する前提が整ったところだ。
「覇陵熊阪君墓碑」は先に確認したので、こんどは台州氏、盤谷氏の墓碑を確認する。
まずは、「處士台州熊阪翁墓碑」。「白雲館墓碣銘(菅野宏氏)」がいう「定邦台州碣銘」だ。
建立は「文化乙丑春三月」とのことなので、文化2年(1805)だと思う。
「從二位清原宣光撰」、「從五位下朝散大夫烏山城主大久保佐渡守藤原忠成篆額并書」で、「孝子定秀建」とのことなので、建てたのは盤谷(熊坂定秀)氏ということのようだ。
「曳尾堂」の散策で、氏の諱とか字が必要になって、「国立国会図書館サーチ」の著者名検索で熊坂・台州を入力して確認した。それが以下の詳細情報だ。
「熊坂台州(クマサカタイシュウ) 1739-1803」
別名:台州(号)・子彦(字)・邦(名)クマサカクニ・クニ・ 定邦(名)・ 熊阪・台州・ 宇右衛門(通称)クマサカシゲン・シゲン
他に、別号:白雲館/曳尾堂えいびどう/東奥陳奮翰とうおうちんぷんかん/大通館、磐谷の父というのもあるようだった。
それが、この「定邦台州碣銘」では、以下のように刻まれているとのことだ(「白雲館墓碣銘(菅野宏氏)」の釈文より)。
翁、諱(いみな)は定邦、一の諱は邦、字は子彦。字は子彦。姓は熊阪氏。本性は児島氏。佐々木盛綱の裔(近江源氏佐々木盛綱の後裔)たり。其の出目に原(もとづ)き、台州山人と号す(比叡山を台嶺ということによる)。