会津の「わたつみのこえ」を聞く⑥
2017年 04月 25日
それが、第6章からは以下のように、社会状況と学校とのかかわりについて整理されるように構成されている。学校が戦争とどうかかわったかという視点で整理されていることが分かる。
第6章「学徒出陣と明治学院」
第7章「戦後の明治学院」
第8章「高度成長期の明治学院」
第9章「明治学院教育の現況」
そして、その第6章「学徒出陣と明治学院」は、以下のように、40ページにわたって、全て学徒兵長谷川信氏個人にかかわる内容で構成されている。
その第1節が、「学徒出陣―学徒兵・長谷川信」
その第2節が、「長谷川信の精神的遍歴」
その第3節が、「明治学院時代の長谷川信」
その第4節が、「軍隊生活における長谷川信の日記」
その第1節「学徒出陣―学徒兵・長谷川信」は、次のように締められる。
戦争の時代に学院の門をくぐり、学業なかばにして銃をとり、特攻隊員となって戦死をとげた長谷川信の短い一生は、そのまま学院百年の歴史の中の最も痛ましい一ページをなすものである。以下、そのようなかれの人生の歩みの跡をやや詳しくたどってみることにする。
そして、その第4節「軍隊生活における長谷川信の日記」を次のように締めくくる。
みずから肯定することができなかった戦争のために、その命をすてざるをえなかった。それは、単に長谷川信ひとりの悲劇ではなく、学院に学び、そして戦場に臨み、死をよぎなくされたすべての者に共通の悲劇であった。この悲劇を二度と繰り返すべきでないことはいうまでもない。と同時に、この悲劇を抜きにして明治学院百年史を論ずることはできないのである。