会津の「わたつみのこえ」を聞く⑤
2017年 04月 24日
それが分かる前、隊に戻る前夜に訪ねたという会津中学校の恩師小林貞治氏の情報の確認を試みている。どんな方なのかという事と共に、何となくこの方が地元の情報とかかわっていそうな気がしたのだ。
目的からすれば没情報だが、それも整理しておくことにしたのは、その経歴から長谷川信氏とかかわった時代の年代が分かり、その付き合い方の雰囲気が想像しやすいと思ったからだ。
「会津中学」、「英語教師」をキーワードに検索すると、自叙伝「風と雪と」という自叙伝の著者に「小林貞治」の名がみつかった。
その経歴を確認すると、次のような経歴だ。
明治42年(1909)栃木県生まれ
中学卒まで群馬県で過ごす。
在京3年。
昭和5年(1930)秋会津中学校に奉職
昭和32年~34年喜多方高校勤務
昭和35年から棚倉、須賀川、相馬、会津女子高校長勤務
昭和46年会津女子高等学校長退職
杏林高校、専攻科講師、城南スクール講師
昭和59年自叙伝発刊当時、専修学校城南スクール講師
城南スクールのページを確認すると、その創業者の「会津高時の恩師で英語の小林貞治先生に三顧の礼でおいでいただきました」という言葉が見つかる。これで、会津高校の英語の先生であった方であることの確認ができた。
この方が、長谷川信氏が訪ねた方と重なるのだろうと想像する。
昭和5年会津中学奉職は21歳かな。これを基準に長谷川信氏の経歴と重ねてみる。
信氏が会津中学に入学した昭和10年(1935)4月は、小林先生は26歳だ。長谷川信氏が会津中学在籍中は20代後半の若さだったということが分かる。
信氏が訪ねて来たのが昭和20年(1945)だから、36歳の頃だ。
「会高通史」の「『戸ノ口』にまつわる悲話一つ(小林貞治)」が昭和40年(1965)だから、56歳で相馬高校校長時代だろうか。
夫人の「湖畔の碑」が「短歌研究」に佳作入選するのが、昭和43年(1968)だから59歳頃で、会津女子高等学校校長時代かな。
なお、この自叙伝「風と雪と」は、会津図書館に所蔵されていることは確認できたが、目次の検索の限りでは、長谷川信氏とのかかわりが記載された様子はなさそうに思う。