地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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熊阪台州氏(その2)⑬~台州氏の交遊関係

 台州氏の交遊関係を視点に「白雲館墓碣銘(菅野宏)【白雲会研究会1989/4】」の年表を眺める。 昨日整理の情報と大きくかかわるのは、安政4年乙未(1775)」台州氏37歳、盤谷氏9歳の春だが、その少し前から情報を拾ってみる。

 明和8辛卯(1771)台州33歳・盤谷5歳の5月に「西遊紀行」が江戸崇文堂から刊行される。稲垣白巌・野村東皐などと初刊の往来あり(継志編)
 安永元年壬辰(1772) 台州34歳・盤谷6歳の2月に江戸大火で松崎観海氏が難を逃れ、台州はその詩文の写しを乞う。その4月に観海氏から台州氏によって詩文が伝わることを望む答えを得る。その9月に台州氏が「観海先生集」の序を撰す
 安永2年癸巳(1773) 台州34歳・盤谷6歳の秋2月に「観海先生集」編集に観海氏から意見を受ける。この年、小野隆庵「古方選」が刊行されるが、望三英序、台州跋。江村北海「日本詩選」刊行されるが、台州の詩作2首収載。

 そして、安政4年乙未(1775)」台州337歳、盤谷9歳の春、台州氏が江戸にのぼり、はじめて観海先生に謁し、2か月間滞在したことが記される。この時に、歓迎を受けて親交を結んだ文人の具体名が記される。
 山士訓(山内穆亭)岡公脩(岡部四溟)田子耜(大田南畝) 山君忠(山田松斎)関叔成(菊池衡岳)源季成(沢田東江) 山道甫(山崎景貫 朱楽菅江)らと親交を結ぶとあり、その出典を「杏園文集」としている。
 これが、昨日整理の情報と重なる部分だと思う。
 なお、ここで源季成(沢田東江)とあるのは、「浮世絵文献資料館」で、樋口元良(樋季成)とされた方なのではないかなと思う。

 「白雲館墓碣銘(菅野宏)」の年表では、この時に以下の長老大家たちの知遇を得、大いに期待されたことが記される。
 余子綽(大内熊耳)稲穉明(稲垣白巌)宇子迪(宇佐美灊水)井子章(渋井太室)田子亮(宮田明)紀世馨(細井平洲)谷文卿(横谷藍水)

 「観海先生集」を出典として唱和の詩多しとし、この時の台州歓迎詩作は「南畝集」その他にも録されていると記されている。昨日に整理した情報と重なるのは確実だ。
 この年に、「宇子迪(宇佐美灊水)「尚書」加点本を写さんと請い許された(福島県立図書館蔵)」ことが付加されている。
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by shingen1948 | 2018-02-09 11:02 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)