地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン

散策覚書「松川鉱山仲ノ内の変電所」跡⑩

 今回はtukaさんから頂いた「仲ノ内の変電所」情報を確かめに来たことを整理してきた。
 その散策の中心は、瑞宝鉱業時代の松川鉱山を意識しての散策であり、「仲ノ内の変電所」を確認した後は、「製錬所の廃墟の跡」や「山神社」を意識しながら付近を散策した。

 ここに来るのに、奥州街道八丁目宿から「奥洲八丁目天満宮」脇の道筋を通って来たのだが、確認を進めるとこの道筋が橋本組時代の松川鉱山とかかわっているらしいということのようだった。
 まずは、この道筋が、松川鉱山から古天神まで通路南側に12ポンドのレールが敷かれた道筋であり、ここを馬に曳かせた1t積みの鉱車が通っていたのだろうと想像した。
 そして、「古天神」には、搗鉱場と呼ばれていた自家精錬場があったのだろうという想像を膨らませたところだった。

 この道筋の「竹ノ内」集落の神社境内に、「西郷の夫婦桜」の案内板が建っていた。
 多分、この北側が「古天神」の搗鉱場にかかわる水路の取水口あたりのはずだ。
a0087378_10232346.jpg 写っている桜は、夫婦桜のうち女「シダレザクラ」の方のようだ。
 高さ約11m、幹回りは約5.3m、根本周6.2mが案内されている。
 近くに男「エドヒガンザクラ」があったようだ。高さ約12.5m、2本に分かれた幹は太いもので約3.5m、根本周4.4mが案内されている。
 推定樹齢は750年から800年と推定が案内されるが、別資料で約600年の解説もみる。平成22年3月に県の緑の文化財に登録されているようだ。
 案内板では、文治5(1189)年の源頼朝の奥州征伐の際、宿地千軒として栄えた大集落を焼き払った成果として神社境内にサクラを植えたとされる伝承を中心に解説される。

 ここでは案内されないが、天正年間(1573~1592年)に伊達政宗が仙台の榴岡公園に植樹するため、江戸から運んだサクラの苗木を途中の宿場町で分け与えたとの説もあるようだ。
 先に八丁目城を散策した時に、その付近が城下町になる前は、門前町だったのではないかとの想像から諏訪神社に立ち寄って「八丁目城① 八丁目宿の諏訪神社」として整理した。
 http://kazenoshin.exblog.jp/7167126/

 ここでの桜の案内に、分け与えられた3本のうち1本がここに植えられて、ほかの一本が竹之内の狐水稲荷の桜と伝えられているとのことだった。それが、ここの桜ということになるはずだ。
 ここでの樹齢は伝承に合わせて400年という事だった。

 今頃が見ごろかな。
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by shingen1948 | 2017-04-18 10:24 | 福島の鉱山 | Comments(0)