地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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浅川、松川散策の写真メモから31

 昭和40年頃の「明治天皇御料水碑」が建つ「水晶沢の清水」の風景について、 地元の地域紹介では、「松川の入り口の旧4号国道の西側に清水の跡と1本の松の木とともにブロックで囲まれている」とある。これは、現況の風景とは微妙に違う。
 「1本の松の木」も「ブロックの囲い」も見当たらない。

a0087378_9505080.jpg この碑の裏側に回ってみると、石積みのところに、時勢の変遷によって荒廃したこの「明治天皇御料水碑」を修復した事が記されている。この修復が昭和63年12月とのことなので、恐らくその整備の時点で消失していたのだろうと想像する。
 ただ、「明治天皇御料水碑」が建つ位置が「清水の跡」辺りの風景という事には変わりがないのだろうと想像している。

 この「水晶沢の清水」が「明治天皇御料水」であったということは、この清水が名泉であったということだ。その情報が、「浅川、松川散策の写真メモから22」で整理した福島市唯一の蔵元の情報とも重なる。
 この蔵元「金水晶」が元々は旅籠「蝋燭屋」だったことや、明治天皇御巡幸の折に和歌を献上した方がこの蝋燭屋のご主人であると想像できる事については、この時にふれた。
 今回整理するのは、この酒蔵の酒造りと「水晶沢の清水」が名泉であることとのかかわりだ。

 この「金水晶」のホームページに、「金水晶のはじまり・由来」の項があり、そこにこの「水晶沢の清水」について次のように紹介されていた。
 https://www.kinsuisho.com/?mode=f1
 蔵元の近くには、遠い昔金売り吉次が発見したと伝わる金山があり、湧き出る名水は水晶沢へと注がれました。明治初年、明治天皇東北御行幸の折、当地に御立ち寄りになり、ご所望によりこの湧水を献上致しましたところ、ことのほかお誉めにあずかり、特に「金明水」と御賜銘下されました。

 そして、この蔵元を「金水晶」と命名したのもこの水晶沢の霊泉で酒造りを始めたこととかかわっているとしている。
 「金水晶」の「金」は金山から、「水晶」は水晶沢からとっての命銘なのだとか。
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by shingen1948 | 2017-12-26 09:52 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)