地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

浅川、松川散策の写真メモから30

a0087378_746216.jpg これは「明治天皇御料水碑」だ。
 碑の下部に判読できない箇所もあるが、地元の資料と照らし合わせながら読むと、おおよそ次のような内容が記されているらしいことが分かる。

 ここには「水晶沢の清水」といわれる泉があったようだ。
 明治9年の明治天皇が東北巡行の際に御飲水されて、「清冽無比富士山の金明水のようだ」といわれたとのことだ。それ以降、この泉の水は「金名水」と言われるようになったとのことだ。
 明治15年に三島県令が水晶沢に国道を通すことに策定した時には、この明治天皇御飲水である清水は移設しないように要望し、現在地に残されたのだそうだ。ただ、残念ながら昭和8年の金鉱採掘によってこの泉は枯れてしまったそうだ。
 せめて「金名水」の名前だけでも残そうと、昭和10年にこの由来を記した「明治天皇御料水碑」が建てられたとのことだ。

 「松川のあゆみ」には、次のようなエピソードも記される。
 〇 福島の行在所にお着きになった夜、この水が欲しい旨仰せになられたので、騎馬の兵隊がこの水を汲み持ち帰ったとも言われているのだとか。
 〇 御飲水選定では、水晶沢の水と清水町の水が最後まで残り、甲乙つけがたかったが、両方の水を同量比べたら、水晶沢の水が僅かに軽かったので、不純物が少ないと判断されて水晶沢の水に軍配が上がったのだとか。

 後者のエピソードは滑稽さも漂うが、要は村としはその位神経を使ってお迎えしたという事なのだろうと思う。
 清水町散策時には、御飲水選定で清水町の水が最後まで残ったという話は聞かなかった。選定の一番の話は残るが、二番以下の話は残らないというのが常だが、少し残念に思うところもある。
[PR]
by shingen1948 | 2017-12-24 10:45 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)