地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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浅川、松川散策の写真メモから29

a0087378_7443171.jpg この写真は、「浅川、松川散策の写真メモから25」で使った稲荷神社を写した写真の左側を切り取ったものだ。
 奥に見えるのが、松川国民学校から移築されたという奉安庫を想像している建物だ。今回、確認したいこととかかわるのは、その手前の石灯篭の陰に写り込んでいる石碑だ。
 これが「明治天皇御駐輦之地」の記念碑のようなのだ。この碑の左には「陸軍大将荒木貞夫謹書」とあるそうで、昭和10年(1935)12月に造立されたものとのことだ。

 松川を通過されるのは3度なそうだ。
 その1回目は、明治9年6月19日の東北御巡幸の往路。二回目が明治14年(1881)8月9日の奥羽・北海道の御巡幸で、三回目は10月14日のその御還幸とのことだ。

 この写真の石碑は、元々三度とも小休止されたという添田旅館があった地に造立されたものなそうだが、昭和63年(1988)に現在地に移されたとのことだった。

 気になったのはその添田旅館だが、この辺りかなと想像がついてきたのは最近だ。
 それは、現ハイツの建っている辺りらしいとのことだが、八丁目家主一欄で確かめると、この辺りは屋号で記されるものの、それらしい旅館は見当たらない。
 今のところ、変遷によるものなのだろうと想像している。また、その建物の様子を知る情報も得てはいない。

 「松川のあゆみ」では、最初の御巡幸である明治9年6月19日の東北御巡幸の際の様子が詳しく記される。
 それには「9時15分に八丁目駅の添田朔助の宅で御小憩」と記される。その「添田朔助の宅」が、添田旅館なのだろうと思う。
 ここで天覧に供されたのが、天満宮の神代石(石剣)・古書画・古墨跡と盛林寺の古茶釜とのことだ。
 また、この時に西光寺の平林宥京氏が祝辞、蝋燭屋の斎藤健輔氏と稲荷神社神官である石合の西東広親氏が和歌を献上したとのことだ。
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by shingen1948 | 2017-12-21 09:43 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)