地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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浅川、松川散策の写真メモから26

 「浅川、松川散策の写真メモから」としながら、写真はない。今回整理したいのは、先に「奥州街道:八丁目村から天明根村辺り②」でふれた「松川座」だ。
 この整理時点で、曖昧だった位置情報が少し明確になったということでの整理のし直しだ。

 その位置を現中村工場事務所とする「松川のあゆみ」の解説を前提にしているところは変わらない。
 先の整理では、現況ではこの中村製作所が確認できないので、昭和46年の地図にプロットされる「中村製作所」を元に天明根村分の街道の東側と絞り込んだ。

 その中村製作所の詳細が、「松川のあゆみ」の「第二次世界大戦と工場の進出」の項で確認できたのだ。
 この製作所は、昭和13年11月に品川で操業したが、戦災にあって昭和20年2月に中町に疎開創業した企業とのことだ。当時、カセット付テープレコーダーやエイトトラックカートリッジホームステレオを製造していたとのことだ。
 注目はその住所で、「松川町字中町二」とあった。

 この情報と現況を照らし合わせれば、現在アパート風の建物が建つ辺りと想像できる。

 天明根村分にこだわったわけだが、それは「松川座」にかかわる情報に「字天明根」にできた常舞台とあったからだ。
 そのことと矛盾がないかという事だが、ここは字天明根と接する位置なので、大丈夫だろうと思う。
 当時の街並みの塊として眺めた時に、字中町というよりは「字天明根」側の街並みの塊に入り込んでいたのだろうと想像する。

 「松川のあゆみ」の「松川座」についての情報の概要を再掲する。

 明治45年創業の天明根村の常舞台。
 金沢屋忠兵衛が私財を費やし、西光寺の庫裏を解体して建設したものとのことだ。
 明治43年結成の「松川町青年団」発会式は、この「松川座」で挙行されたとのことだ。創業前の出来立ての常舞台を使用させたということなのだろうと想像したところだった。

 「写真集:明治・大正・昭和 福島(大竹三良)」では、その集客とのかかわりについて「宿場町から発展した松川町は幕政時代から遊郭もあり、鉄道忌避で寂れたとはいえ、周辺の農村を商圏としてにぎわっていた」と解説されていた。
 ただ、現時点でもこの「松川座」を紹介する写真は見ていない。

 なお、「写真集:明治・大正・昭和 福島(大竹三良)」に掲載される大正13年創立で、昭和37年まで続いていたという芝居小屋「松楽座」については、先に「松川事件を歩く」の散策時にその位置を確認していることも再掲しておく。
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by shingen1948 | 2017-12-16 09:59 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)