地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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浅川、松川散策の写真メモから⑮

 「松川のあゆみ」で、八丁目文化の高さを自慢するのに幕末の江戸の文人粋人間で「陸奥に過ぎたるものが三つある。石に唐木に鵙の団七」と唄われたと紹介する。
 自慢話の類だが、旦那芸の域を超えて高いレベルであると自慢される「石に唐木に鵙の団七」の「鵙の団七」は、先に整理した狂歌の巨匠百舌鳥廼舎こと塩屋の通称渡辺団七氏のようだ。
 この方、画も茶も花などにも造詣が深く、とりわけ書の筆札も巧みで、特に細字に妙を得て江戸の出版業者がわざわざ版下の浄書を依頼してくるほどだったのだということだ。

 自慢話の「石」は、篆刻家の菅野普斎氏を指すようだ。天明根の人で通称次郎右衛門、伝次、伝七とも称すとある。
 「八丁目家主一欄」の天明根村と照らし合わせると、ぴったりと一致はしないのだが「松川屋治郎右衛門」がそれでないのかなと思われるがどうだろう。
a0087378_7581876.jpg これは八丁目村側から天明根村の西側を眺めているところだが、「松川屋治郎右衛門」宅は、天明根集会所のちょっと先あたりだろうか。
 この天明根村から鼓岡村にかけては、風景の変遷は勿論、水原川本流の改修や用水路の改修もあって、屋敷図から実際の位置をイメージするのが難しい。

 その篆刻家の菅野普斎氏は、二本松藩国家老丹羽守に丹羽の水晶の雅印を篆刻し、その手腕が江戸で認められ評判になったのだとか。
 明治になって、田嶋鷗僊に漢字を学び、号を鶴僊と改めたとのこと。老後は水車業を営み居を水車庵としたのだとか。
 ここに登場する田嶋鷗僊氏だが、この方は元二本松藩士で地元では有名な方のようだ。
 二本松落城の頃、鼓岡村名主桜内氏が中心となって、この方を招いて「維新館」という塾を開いたようだ。村内だけでなく、近隣の村の青年にも開放して学ばせ、近隣の学問的な水準が高まっただけでなく、やがて学校発足の礎を築くことにもなったという経緯の中心人物のようだ。

 自慢話の「唐木」は、三味線張りの名人三味線屋久米吉氏とのことだ。
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by shingen1948 | 2017-11-16 09:56 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)