地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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浅川、松川散策の写真メモから⑬

 ハ丁目宿の昔ながらの屋号を掲げるのは「ますや旅館」。
 店前には、「奥州街道八丁目宿場旅人宿、枡屋銀五郎」と白地に黒く大書された看板が掲げられる。
 「八丁目家主一覧」にも、この「枡屋銀五郎」が見える。
a0087378_9193394.jpg これは、その「ますや旅館」辺りの2009年夏の風景だ。現在は、手前のスナックはなく、更地になっている。

 八丁目文化情報と照らし合わせてみる。
 この枡屋銀五郎さんは通称で、加藤候一の名で狂歌狂画をよくした方のようだ。殊に鳥羽画に巧みであったとする。
 その紹介によると桝屋さんは、呉服商を営んでいたようで、その取引は北関東に亘ったとある。

 嘉永の頃、狂歌の巨匠とされる排と伊勢参宮漫遊をなし奇行多しとの情報もある。この情報を辿ると、二代十返舎一九の「奥州一覧道中膝栗毛」と繋がるらしい。

 この一緒に伊勢参宮漫遊をなした「狂歌の巨匠とされる排」氏が、屋号塩屋で通称渡辺団七とのことだ。
 「八丁目家主一覧」で確かめると、金沢屋向かい辺りにその通称の渡辺団七が記される。

 この通称渡辺団七氏である排氏は、散文戯文にも長じた蜀山人太田南畝とも親交があったのだそうだ。十返舎一九の「金乃草鞋奥州道中」にならった二代十返舎一九の「奥州一覧道中膝栗毛」の第四編の序を百舌鳥廼舎(もづのや) 排の名で書いたとのことだが、加藤候一氏は、その挿絵も描いているのだそうだ。

 この「奥州一覧道中膝栗毛」をとりあえずネットで確認すると、早稲田大学図書館の情報がヒットする。
 出版事情に、明治14年(1881)東京府江嶋伊兵衛とあり、その内容等に「4編の序:百舌自廼屋」が記される。微妙に表記は違うが、読みは「もづのや」で一致する。
 ここから確かめを進めた訳ではないが、情報と重なる気はしている。ただ、ここまででは加藤候一画の確認はできていない。
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by shingen1948 | 2017-11-14 09:22 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)