地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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散策覚書「松川鉱山仲ノ内の変電所」跡④

 「松川のあゆみ」では、松川鉱山最盛期の繁栄のなごりとして残る現在も残る遺跡として、製錬所の廃墟の跡・六本松と仲の内変電所・山神社が紹介される。
 そのうちの製錬所の廃墟の跡・仲の内変電所を確認してきた。
 この中の六本松変電所については今のところ全く分からないのだが、山神社については、このあたりらしいという想像はついてきている。

 先に「福島の鉱山25~信夫地方の鉱山「松川鉱山」⑦」で「山神社」の位置を想像している。
 http://kazenoshin.exblog.jp/22995240/
 ここで「もともと山神社は、小金塚から関根に越える山道のそばに祀ってあった。高さ約80㎝ぐらいの凝灰岩質の石の祠であった」と表現した「小金塚から関根に越える山道」というのが、今回確認している「関根から鉱山のある峠を越える道筋」のことだ。
 前回、昭和50年のカラーの航空写真で、この道筋から左に「製錬所の廃墟の跡」へ向かう道筋が確認できることを記したが、そこから少し進んだところの北斜面上に整備された平地が確認できる。 ここが、地図の神社記号の位置と一致するようなのだ。(前回整理時には見逃している)

 「松川のあゆみ」に紹介される現在残っている山神社の表現を確認すると、「瑞宝鉱業時代、平石氏が山腹に立派な山神社を新築し、道端にあった石の祠を遷宮してお祭りした」とある。その山腹に遷宮したとの表現とも矛盾しない。
 なお、「松川のあゆみ」では、道筋にあった時代の石の祠について、破風に下り藤の紋が刻まれることから、蒲生氏経営時代の建立と想像しているらしいことを再掲しておく。

※ 今回整理の「散策覚書「松川鉱山仲ノ内の変電所」跡②」で、「『信夫鉱山』は、硫黄鉱山の事のようだ」としたが、これは誤りなので、訂正する。
 この鉱山は、小池鉱山の西に金山の地名がある辺りの鉱山で、大正2年に探鉱されたらしい。ただ、詳細は不明とのことらしい。
 先に整理した「信夫地方の鉱山『松川鉱山』」でも、同じ誤りをしている。自分に思い込みがあるのかもしれない。
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by shingen1948 | 2017-04-09 17:47 | 福島の鉱山 | Comments(0)