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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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浅川、松川散策の写真メモから④~比丘尼石:薬師堂②

 比丘尼石と薬師堂を、地域の人々の心のよりどころとしての風景として眺める。
浅川、松川散策の写真メモから④~比丘尼石:薬師堂②_a0087378_11533996.jpg 「心の文化財」に、薬師堂の後ろの岩が二つに割れているので「われめの女石」とも言われているとの解説がある。それを意識して撮ったのがこれだ。
 ここに立ち寄った事がある者には、この撮影時には昨日整理の岩を背にしているということが分かる。その背にした岩の上部には「山神」の石塔が建っている。
 写りこんでいる薬師堂は、その二つの巨岩に挟まれているということだ。

 「浅川地区の名所旧跡ちょっこら旅」に「胎内に摸しての信仰もあります」とあるように薬師堂前では、包み込まれている感覚になる。「巨岩には神が宿るというイワクラ信仰のなごりもあります」との解説にも納得。

 「比丘尼がそこに住み着いたことから比丘尼石の名がついたといわれています」とあるので、その「比丘尼」を確認する。

 仏教の男性出家修行者を比丘というのに対して、女性の出家修行者を「比丘尼」と呼称するということだ。
 日本における記録上最初の比丘尼は、善信尼(ぜんしんに)と称した司馬達等の娘なそうだ。
 奈良・平安時代にも尼の存在は認められるが、一定の地位が築かれるのは鎌倉時代になって尼門跡寺ができるようになってからなのだとか。
 これとは別に、熊野比丘尼に代表される諸国を遊行する比丘尼がいたという。尼形の巫女で祈祷や託宣を業とするものもあり、近世の歌比丘尼や、遊女にまで転落した売比丘尼はそうした流れをくむといわれているのだとか。(日本大百科全書解説より)

 イメージ的には、住み着かれたという比丘尼は、諸国を遊行する比丘尼で、巫女で祈祷や託宣を業としていたという感じかな。
by shingen1948 | 2017-10-20 11:55 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments(0)