相馬野馬追のメイン会場なので、雲雀ヶ原には行ったことがある。しかし、その西に広がる平地が原町飛行場跡地であるということを知らなかった。
きむら氏が訪れる記事を具体的にイメージすることができていなかったのだ。
それで、原町飛行場についての確認だけはしていたのだ。ただ、散策予定がないので整理はしていなかったということだ。
散策資料に紹介される原町飛行場の見取り図は、どれも青田信一氏が提供されるとした昭和15年当時の様子だ。
これは「はらまち九条の会」会報紙からお借りした。
武揚隊隊長の山本薫氏も、訓練兵として、この「学生舎」で生活していたのだろうと想像する。