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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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示現(慈現)太郎神社と二荒神社③

 「一つ目小僧その他(柳田国男)」の「目ひとつ五郎考」の中に、この浅川の示現(慈現)太郎神社が天安2年(858)寅3月頃下野国二荒神社に飛んだというということについてふれている箇所がある。

 その「人丸大明神」との項は、神職が目を傷く話で始まる。
 その例として東国に下って病のために一目を損じて都に帰れずに此の地に留まる話があるのだが、ここには次のように土湯の太子堂の話がふれられる。
 「此の話と前に挙げた信夫の土湯の太子堂の太子像の、胡麻の稈で眼を突かれたとふ伝説とは、完全に脈絡を辿(たど)ることができる」
 この確認はよそ道。

 次に神自身が植物で眼を突いた話が続くのだが、その神の名が野州(下野国)に於て特に柿本人丸であったとする。そして、その原因として想像できることは、宇都宮二荒神社の古い祭式の言い伝え以外に一つもないとする。
 ここで、宇都宮二荒神社の祭神の人丸説にふれる。それで、前回、宇都宮二荒神社が小野猿丸と柿本人麻呂にまつわる話も絡んでいることについて整理しておいたのだ。

 更に、ここから人丸社の中で神霊の出現するといった奇瑞は、社の名を示現神社と称し、所謂示現太郎の神話を伝えたもの多いとし、那須郡小木杉の示現神社の例が紹介される。
 ここに浅川の示現(慈現)太郎神社の話がふれられるのだ。
 次のような紹介だ。

 那須郡小木杉の同名の社などは、文治4年に二荒山神社を奉還すと伝へて、しかも公簿の祭神は柿本人麿朝臣、社の名も元は柿本慈眼大明神と唱えて居た。さうして此神の勢力の奥州の地にも及んだことは、恰(あたか)も此人の末なる佐藤一族と同じであった。例へは信夫郡浅川村の自現太郎社の如きは、海道の東、阿武隈川の岸に鎮座して、神此地に誕生なされ後に宇都宮に移し奉るとさへ言って居る。神を助けて神敵を射たといふ小野猿丸大夫が、会津人は会津に生まれたといひ、信夫では信夫の英雄とし、しかも日光でもその神伝を固守したのと、軌道を一にした分立現象であって、独り此二種の口伝は相相関するのみならず、自分などは信州諏訪の甲賀三郎さへ、尚一目神の成長したものと考へて居るのである。

 この後も人丸神の考察は続くが、ここまでにする。

 なお、「此神の勢力の奥州の地にも及んだことは、恰(あたか)も此人の末なる佐藤一族と同じであった」という件には、「『神を助けた話(柳田国男)』には、宇都宮の信仰の福島県の大部分を支配して居たことを述べている」との脚注がついている。
 また、「例へは信夫郡浅川村の自現太郎社の如きは、海道の東、阿武隈川の岸に鎮座して、神此地に誕生なされ後に宇都宮に移し奉るとさへ言って居る」という件には「民族1巻56頁及び其注参照」との脚注がついている。
by shingen1948 | 2017-10-07 09:16 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)