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地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。


by シン
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「浅川黒沼神社」と示現(慈現)太郎神社③

 本当はどうでもいいことなのだろうが、干潟になった黒沼・赤沼の実際が気になってしまう。

 地図上に赤沼の地名は見つかる。
 地形的には、この浅川黒沼神社が建つ羽山岳と現在医大の建つ光が丘とされる高まりのの間に、4号国道バイパスに沿って堰が描かれるのだが、その上流付近だ。

 「信達二郡村誌」を確認する。
 「赤沼渠」がこれにあたると思われる。
 「町の西入より起こり(沢水を源とす)東流し赤沼に至り大堰に入る長6町30間巾2尺8寸田4町9段2畝3歩に灌く」とある。
 「大堰に入る」とするその大堰が、神社手前の道沿いに走るこの堰だと思う。
「浅川黒沼神社」と示現(慈現)太郎神社③_a0087378_830216.jpg 「信達二郡村誌」を確認する。
 「大渠」がこれにあたると思われる。
 中部川端に起こり東流し仏明内に至る長11町23間巾2尺8寸田3町1段9畝11歩に灌く」とある。
境内にはその改修記念碑が建つ。
 ただ、確認はしていないが、現状は国道バイパスを超えた仏明内までつながってはいないような気がする。
 国道バイパスの東側は、改めて「赤沼渠」を源流とした水が旧大堰筋を満たしているのではないのかなと思う。

 地図上に黒沼は見つからない。
 しかし、「信達二郡村誌」には「「黒沼は大なる沼にして舩橋を架し通行せし故 其地を今舩橋屋敷と称す云伝ふ」とある。
 つまり、現「船橋」付近を黒沼とみて、物語をイメージすればよいのかなと思う。
by shingen1948 | 2017-10-01 08:31 | ◎ 信仰と文化 | Comments(0)